【書評】藤川賢・除本理史編著『放射能汚染はなぜくりかえされるのか』

【書評】藤川賢・除本理史編著『放射能汚染はなぜくりかえされるのか』

人間と環境 44巻3号 本の紹介より

混迷を深めたときに立ちかえるべきは、「歴史的経験」である。私たちは、福島原発事故というこれまでにない最大で最悪の公害事件に直面し、7年を経てもなお山積する課題を前に立ちつくしている。こんな時こそ「歴史的経験」に立ちかえりながら考察を深めて解決の手掛かりを探る。これが「学問の王道」であろう。本書はこうした姿勢を体現しつつ、経済学、社会学、法学など社会科学を統合して福島原発事故に対峙する力作である。

本書の目次は以下のとおりである。

序 章 くりかえされる放射能汚染問題—いかに経験をつないでいくか—(藤川賢)

第1章 「唯一の被爆国」で続く被害の分析—戦争・原爆から原発へ—(尾崎寛直)

第2章 スティグマ経験と「差別の正当化」への対応—長崎・浦上のキリスト教者の場合—(堀畑まなみ)

第3章 人形峠ウラン汚染事件裁判の教訓と福島原発事故汚染問題(片岡直樹)

第4章 鳥取の新しい環境運動をたどる—青谷・気高原発立地阻止とウラン残土放置事件から3・11後へ—(土井妙子)

第5章 茨城県東海村におけるJCO臨界事故と東日本大震災(藤川賢)

第6章 「低認知被災地」における問題構築の困難—茨城県を事例に—(原口弥生)

第7章 福島原発事故における被害者の分断—賠償と復興政策の問題点—(除本理史)

終 章 市民が抱く不安の合理性—原発「自主避難」に関する司法判断をめぐって—(除本理史)

本書が扱う素材は、福島原発事故に直接関係する2つの章のほか、原発症訴訟、長崎における被爆体験と被爆者、人形峠ウラン残土問題、鳥取県青谷原発反対運動、JCO臨界事故、放射能汚染への十分な対策が取られていない茨城県の「低認知被災地」問題など、多様である。にもかかわらず、各章ではもれなく、福島原発事故をめぐる状況に対する強いメッセージと教訓が引き出されている。それを可能にしたのは、本書において2つの視点が貫かれているためと考えられる。

第1は、公害問題を念頭に置き、放射能汚染問題における加害と被害の構造を中心に据えて分析を行っている点である。これにより「被害者の分断」が制度的・人為的に生み出されてきた実態が豊富な事例をもとに提示され、問題の局所化をはじめとした「被害の過小評価」のメカニズム。構図がクリアに析出されている。

第2に、「加害責任の曖昧化、被害の過小評価、被害者の孤立・分断の舞台」(ⅲ頁)である地域からの分析という点である。地域社会での問題の受け止められ方を中心に、各事例にそくして詳細に分析されていることで、「被害の過小評価」にかかわる「問題の断片化・局所化、被害の否定、断絶や差別」が、具体性をもって掲示されている。

以上のような、放射能汚染による被害の実態解明および共通性の析出は、福島原発事故に向き合う際の前提となるものであり、これを歴史具体的かつ、体系的に示した本書の意義は大きい。

また、「リスクと不安」をめぐる分析にみられるように、放射能汚染をめぐって派生する被害の特徴とその構図を解明したことも、本書の重要な貢献である。本書では、多くの事例と比較対象されているため、福島原発事故後に「分断と抑圧」に直面している人々の苦悩と被害について、より深く理解することができる。

こうした被害構造の解明と同時に、本書では、扱ったすべての事例において、放射能汚染問題の解決へ向けた営為や方がが存在していたことが強調されている。すなわち「リスクや不安を共有するに努めながら、現状の改善を図る共同の取り組み」(ⅵ頁)が、すでに各地で多様に展開されてきたという点に注目し、ここに福島原発事故による被害回復の展望を見出すのである。

以上のように、放射能汚染問題の解決へ向けた営為や萌芽を、全国の事例からていねいに明らかにしているという意味で、サブタイトルにある「地域の経験をつなぐ」という目的が果たされている。

本書のメッセージを筆者なりにまとめるならば、「低線量被ばくに対する不安の軽視」(173頁)を乗り越え、「不安やあきらめも被害の一面であることを社会全体の認識にしていく」(17頁)ために、被災者の「リスクや不安を共有するように努めながら、現状の改善を図る共同の取り組み」を、私たち自身が積み重ねていく、それこそが福島原発事故に向き合う第一歩になる、ということであろう。その意味で、「終章 市民が抱く不安の合理性—原発『自主避難』に関する司法判断をめぐって—」における指摘はとくに重要である。

ただ一点、欲張りなことを言えば、「被害の過小評価」と同時に進行する、「加害責任の曖昧化」の構図に関する解明と体系的な記述があれば、さらによかったであろう。

本書を読みながら、編者の一人が依然、「福島原発事故に関して、体系的でエレガントな分析ができるようになってから、あとづけ的に研究してみても、被害者にとってまったく意味がない」という趣旨の指摘をしていたことを思い起こした。

編者らが、被害に向き合って学際的に研究者を組織し、山積する福島原発事故の課題に対峙した成果を発信し続けていることに、頭が下がる思いである。

本書からは、研究書にとどまらない意味付けが看取される。たとえば、読書案内が巻末に付されている点など、本書が「私たち自身の向き合い方」を重く問いかけているように思われる。その意味で、研究者はもちろん、多くの市民にも手に取ってもらい、福島原発事故で生じた被害、とくに「リスクや不安」への向き合い方を考えるために広く活用されることを望みたい。

最後に、福島に数回足を踏み入れながらも、なんら貢献できていない自分への忸怩たる思いを胸に、本書を読んだことを記しておく。

放射能汚染はなぜくりかえされるのか

(関耕平 島根大学 評)

【東信堂 本体価格2,000円】

旧サイトはこちら

ページ上部へ戻る