【書評】別府昭郎著『大学改革の系譜:近代大学から現代大学へ』

【書評】別府昭郎著『大学改革の系譜:近代大学から現代大学へ

IDE現代の高等教育 No.595 p.74より‚å−w›ü−v‡Ì„nŁ‹B

本書は、長年にわたりドイツの大学史研究に取り組んできた別府昭郎氏が、「ドイツの大学は一八世紀から一九世紀を経て、どのように改革され、変化・変遷してきて、現代にいたった」かを基本的な問題意識として、これまで学会誌や大学紀要などに書き継いできた論文に書き下ろしの論文を加えて、「大学改革の系譜」という視点からまとめたものである。著者は、個々の論文を書いていたときにはそれを仕上げるのに懸命で、本書の全体を貫く問題意識などはなく、「重い石を一つ一つ積み重ねて行くような仕事を一心不乱にやっていたにすぎない」という。この「重い石を一つ一つ積み重ねて」きた成果は、『ドイツにおける大学教授の誕生』(創文社、 1998年)、『近代大学の揺籃— 一八世紀ドイツ大学史研究—』(知泉書館、 2014年)とまとめられており、本書はこれらと並ぶ三部作の一つという位置づけになる。

本書は、第一部「ドイツにおける近代大学の成立」、第二部「古典的大学の創設と変容」、第三部「大学大綱法施行とボローニャ・プロセスの時代」の三部構成である。この時代区分は、P. モーラフに従うもので、古典期以前:1348年のプラハ大学設立から1810年のベルリン大学創設まで、古典期:ベルリン大学創設から1970年前後の大学改革が始まるまで、古典期以降すなわち「現代」:1970年以降である。「現代」は。ボローニャ・プロセス導入以前と以降に分けてとらえられている。著者は、日本でドイツの大学の歴史について語られる場合、フンボルト理念やベルリン大学創設以降の「研究と教授の統一」などが取り上げられることが多いことを批判し、それ以前のドイツの大学の歴史をみることの重要性を強調されてきているが、そのことは本書にもよく示されている。

古典期以前を扱う第一部ではケーニヒスベルク大学、ハイデベルク大学を例とした18世紀のドイツの大学の組織構造、私講師の期限・変遷、大学教授資格試験(ハビリタツィオン)の導入、カントの『啓蒙とは何か』にみる公私論などが、古典期を扱う第二部ではフンボルトらによるベルリン大学創設の理念、ベルリン大学における大学と学部の概念、ベルリン大学における私講師、哲学部の「分裂」などが、「現代」を扱う第三部では、大学大綱における教師の種類、大学大綱法下におけるドイツ大学の教育事情、大学の改革動向、大学教師の養成・任命・任務・給与などが取り上げられている。そして、終章、付論が続く。

著者はそれぞれの時期のドイツの大学について、学部や教員を中心としてその変遷を概観し、特質を析出しているのであるが、ここでは、ドイツの大学の現在と将来を検討するという観点から、大学の設置形態すなわち国家と大学との関係について、確認してみたい。

古典期以前、ドイツの大学は、自然発生的に成立したパリ大学やボローニャ大学と異なり、領主や国王により「作為的に」つくられたが、パリ大学やボローニャ大学と同様に特権を有する団体であった。ドイツの大学は「創設の当初から国家原理と団体原理という相互に矛盾する原理の混合体(よく言えば統一体)としての性格(業)を負わされていた」。この二つの原理は、現在に至るまで、ドイツの大学の基本的な性格をかたちづくるものである。大学大綱法にも、また各州の大学法にも、大学の法的地位について、「大学は公法上の社団であり、同時に国の施設である」という規定がみられる。ただし、他の法的地位を認める規定があり、一部の州では財団など他の法的地位を認めている(実際に財団立の大学が設けられている)。

この国家原理と団体原理の相克は、教授の任命に際して、学部が3人の候補者を順位を付して推薦し、その中から文部大臣が決定するということにも表れている。文部大臣は推薦された順位にとらわれず決定することも、また候補者以外方決定することも、推薦リストを際し戻すことも可能であるが、実際それがどのようであったかについても、プロイセンの大学を例として示されている。教授の招聘に関しては、現行の州の大学法や関連法にも同様の規定がみられる。

このように、ドイツの大学が18世紀、19世紀を経て今日までどのように変容してきたかが示される。なお、著者は、ベルリン大学の学則から見るかぎり、大学は研究機関ではなく教育施設であるとみなされていたとし、「このことはいくら強調しても過ぎることはない」とする。また、古典期の大学における講座は「一人一口座」であって、明治期に導入された帝国大学の講座制とは異なることに注意を促している。われわれがドイツの大学をみるときの思い込み・誤解に対する指摘であり、大学の定款や法律、講義録等を渉猟してきた筆者ならではの言である。

「まえがき」には、「過去のドイツ大学の敵視的事実と現在のドイツ大学の状況を、私なりに往復することができたと思う。これからも往復していきたいと思っている」記されている。過去の歴史を踏まえての、これからのドイツの大学の展開に関する知見を期待したい。

(早稲田大学教育・総合科学学術院教授/比較教育学 長島啓記 評)

大学改革の系譜:近代大学から現代大学へ

【東信堂 本体価格3,800円】

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