【書評】山本吉宣著『「帝国」の国際政治学—冷戦後の国際システムとアメリカ』

東京大学アメリカ太平洋研究 第八号より

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アメリカ外交史家のチャールズ・メイア―が、ロイド・ガードナーとマリリン・ヤングの共編著『ニュー・アメリカン・エンパイア』(2005年)の序論の中で「近年、友人も批判者もともに、臆面もなく帝国を口にするようになった」¹と述べているように、アメリカ「帝国」をめぐる議論が盛んである。

「帝国」論の氾濫の中で、アメリカ「帝国」の定義を曖昧にした研究や「娣億」概念の乱用ではないかと思われる著書も増えている。しかし、ここで紹介する「帝国」論は、著者の長年の国際政治学の研究成果が生み出した傑作である。それだけでなく、これまで著された「帝国」論の中でも最も包括的かつ体系的な研究であり、必読書となることは間違いない。

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本書は、4部から構成されている。第Ⅰ部「冷戦後アメリカの国際政治理論と思想の展開」、第Ⅱ部「帝国システムの理論的基礎」、第Ⅲ部「アメリカの帝国システム—素描」、第Ⅳ部「結語」となっている。

第Ⅰ部(1-3章)は第1章「冷戦後アメリカの国際政治理論の展開」では、アメリカの対外政策について6つの類型(①リベラルな孤立主義、②現実的な孤立主義、③リベラルな多角主義、④現実的な多角主義、⑤リベラルな単独主義、⑥現実的な単独主義)を摘出し、1990年代半ばには6つの類型が併存していたが、1990年代末になると、⑤と⑥の類型が強くなったと分析している。アメリカにおけるこのような国際政治理論の流れを明らかにし、帝国論的な考え方が台頭してくる筋道を考察した後、第2章「ネオコンの思想と行動」では、そうした帝国論的考えの形成に大きな役割を果たしたネオコンの信条体系の形成過程を丹念に整理している。第3章「階層の国際政治学」では、冷戦終結後、「南北問題」に端を発する諸問題に安全保障上の観点からいかに対処するかが、アメリカ国際政治学の主要関心事項となる中、冷戦後の世界を平和の圏/混沌の圏と捉える二層論、中心(先進国)/純周辺(新興工業国)/周辺(開発途上国)と捉える三層構造論などが存在したことを概観したうえで、9・11以降、「南」の問題への対処方法が軍事力中心の考えに傾斜していったことを明らかにする。

第Ⅱ部(4-8章)は、帝国を分析概念として扱い、帝国概念を理論的に展開している。第Ⅱ部は本書の中核をなしており、あとで改めて取り上げる。第Ⅲ部(9-11章)は、第Ⅱ部で展開された理論的考察をアメリカに適用している。第9章「アメリカのインフォーマルな帝国システム」は、アメリカ帝国システムが第二次世界大戦後に形成されたものであることを明らかにしている。また、この戦後の冷戦期は、ソ連とアメリカという二つの帝国システムが競合していた時期であるとされる。第10章「冷戦後」では、ソ連の崩壊によって「単極の世界」が到来し、1990年代後半に「国際システムは一つの帝国が存在する単一帝国システム」(291,365頁)となったという。しかも、9・11後のアメリカは、行動のレベルで帝国主義行動に走り、アメリカの「帝国(主義)イメージ』(366頁)が強くなったと論じている。第Ⅳ部「結語」は、第12章「帝国システムと国際システムの将来」の1章から成っている。将来の国際システムとして、帝国システム、覇権システム、伝統的な国際政治、普遍的システム、トランスナショナルなグローバル市民社会が想定され、現在は、これらが併存している状況にあるという。

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本書の中核部分をなすのは、第Ⅱ部である。ここでは、各章を少し詳しく見ていくことにする。

まず、第4章「影響力関係と国家間関係の類型」において、帝国システムの定義が行われ、「覇権」と「帝国」が区別される。影響力が対外政策に限られるのが「覇権」であり、対外政策と内政の双方に及ぶ場合が「帝国」である(155,157頁)。「覇権国」は「帝国」ではないが、「帝国」は「覇権国」の特徴を持つとされ、それゆえ「帝国は覇権国のサブセット」(156頁)だと位置づけられる。その意味で、対外政策の次元に限れば、「帝国」と「へ圏」との区別はないことになる(156頁)。

著者は、「帝国」を、フォーマルとインフォーマルに区別する。「フォーマルな帝国」は「制度的な帝国」であると定義するが、この帝国概念では第二次世界大戦後の交際システムを分析するのに適切ではないとして、「インフォーマルな帝国」、「インフォーマルな帝国システム」という概念を使用する。それは、制度に力点を置くのではなく、影響力の強さを重視した概念である。また、「帝国」と「帝国主義」を区別し、合意と非強制を旨とするのが「帝国」であり、強制を伴うのが「帝国主義」である(169頁)とする。

第5章「帝国システム」は、「インフォーマルな帝国システム」の分析に当てられる。帝国システムの特徴は、①階層化(軍事、経済、価値の領域から成る下部構造)、②関係の構造(同盟網や海外基地網といった、帝国システムの上部構造)、③非対称的な影響力の関係(①の下部構造を前提とし、②の上部構造の前提となる行道)である(181頁)。帝国システムは、階層化を前提とするが、同時に、中心圏、準周辺、周辺、外部という「同心円的階層構造」を示す(159頁の図を参照)。「インフォーマルな帝国システム」のもう一つの特徴は、帝国システムの領域が「きわめて不明確」で、その領域を確定することが「きわめて難しい」(197頁)ことである。また、注目されるのは、現在の国際システムは、「フォーマルな主権国家体系」と「インフォーマルな帝国システム」が併存しているだけではなく、市場経済とも併存している、と論じる(192-94頁)ことである。これら異質のシステムが相互に矛盾しながらも、同時に相互補完的な関係にあるがゆえに、「インフォーマルな帝国システム」は絶妙な安定を維持しているのだと主張する。

第6章「帝国システムにおける相互作用」は、帝国システム内における帝国と帝国以外の国々の相互作用を明らかにする。帝国は、中心圏・準周辺圏・周辺圏を構成する国々との価値観規範の共有の有無によって、融合、変容促進、大綱、協力、直接政治。政治体制の強制的な移植、といった異なる政策を追求する。それゆえ、帝国の制作は二重基準や三重基準に特徴づけられることになる。また、帝国システムが安定を維持するためには、国際的正当性の確保が必要になってくる。著者は、①安全や経済的利益野提供などの現世利益的なもの、②帝国の奉ずる価値規範(民主主義、人権、自由、自由経済)、③合意の手続きに関するもの、の3つを挙げている。

第7章「帝国システムの生成、発展、衰退、崩壊」は、帝国システムの生成から崩壊までを論じ、第8章「多帝国システム、競合的帝国システム、単一帝国システム」は、いくつかの異なる帝国システムが併存する場合、二つの帝国が競合する場合、一つの帝国だけが存在する場合を取り上げ、これら三つの異なる国際システムに関して、イデオロギー・価値体系の役割、軍事力の機能、同名の役割、外交の役割と形態を検討している。

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著者はその帝国の理論モデルを構築するにあたって、「アメリカのインフォーマルな帝国システム」を念頭に置いたと述べている。しかも、念頭に置かれていたのは

、第二次世界大戦後のアメリカである。それゆえ、第Ⅱ部で展開された帝国モデルを使って、戦後のアメリカの対外行動の特質や国際政治における位置をどの程度うまく説明できるのか、ということが問われることになる。

そこで、以下において、戦後のアメリカを念頭に置きながら、本書に対する評者のコメントを付しておきたい。

著者は、アメリカは帝国であるとの前提から出発している。しかし、評者は、戦後のアメリカはヘゲモニー国家だとみなす方が、より現実に近いのではないかと考える。戦後のアメリカが他国の内政まで支配する力を持っていたと捉えるのは、少々無理があるのではないか。アメリカの冷戦史研究の多くの文献は、アメリカの力の限界を明らかにしている。ロバート・マクマホン『帝国の限界』(1999年)ヲはじめとする一連の研究もその例である。²アメリカの力の限界は、アメリカと非同盟諸国(ナセル政権下のエジプト、ネルー政権下のインドなど)との関係にも見られた。

アメリカを「帝国」だと見る見解が注目を集めるようになったのは、冷戦後のことである。9・11後の世界において、ブッシュ政権は軍事帝国化したといわれる。しかしブッシュのアメリカは、中国やロシアやEUのみならず、「悪の枢軸」といわれたイランやイラクに対する対応においても、その力の限界を露呈している。また、クリントン政権もブッシュ政権も、フセインのイラクに対するアメリカの要求を貫徹することができず、ブッシュはついに武力行使に訴えた。だがその結果、アメリカは泥沼にはまり込んでしまった。アメリカは日本をヘゲモニー支配下に置いている、と評者は考えている。だが、内政を支配する力を保持していると見るのは困難であろう。³

こうした批判に対する予防措置として、著者は、「アメリカを中心とする帝国システム」を「ドーナッツ型の帝国システム」である、として説明する。このモデルの特徴は、国の制作(行動)と国際政治の構造(単極構造)戸を区別するやり方にある。著者によると、アメリカは帝国だが、状況に応じて、さまざまな行動をとる、とされる。すなわち、帝国システム内の中心圏ではアメリカは「覇権国ではあるかもしてないが帝国ではない」、「アメリカの帝国主義の対象となるのは、周辺の国々」(315頁)である。構造・システムと行動・政策の区別は、著者の帝国モデルのもう一つの特徴、すなわちアメリカはインフォーマル帝国であるがゆえに、帝国システムの領域を確定することが困難だとする著者の主義と通底するように思える。

このような説明は、論理的に可能であるとしても、帝国の版図が確定できないだけでなく、ある場合には帝国として振る舞い、また状況が変われば、覇権国としての行動をとるというのであれば、そのようなアメリカを「帝国」と定義することが妥当なのかという疑問を生じさせる。また、アメリカを中心とする帝国システムを形成しているとの認識の下に、基本的には、「交換・合意によって形成されてきた」(279頁)として、合意や契約の要素を重視している。その例として、著者は、アメリカの軍事基地網を取り上げ、それは植民地ではなく、領土を獲得することを目的としていない点を強調する。アメリカの海外基地は、「基本的に相手国との合意にもとすいて獲得・保持しているものである」、と述べている。

アメリカ「帝国」およびアメリカの帝国システム野形成過程を交換や合意に基づくものだと一般化することは妥当だろうか。アメリカは、自国に抵抗したり反抗したりする国家に対して、しばしば武力を行使してきたし、海外基地の存在がそれを可能sにしてきた、と評者は考えている。⁴ 条約の形をとっていることは、かならずしもそこに強制が働いていないことを意味しない。著者自身、「強制的な民主主義の移植」に関する事例を記述した箇所で(305-30頁)で、歴史的に歯4つの波があったとして、①20世紀初頭のキューバ、配置、メキシコ、ドミニカの例、②1940年代の日本、西ドイツ、イタリアの例、③1960年代のヴェトナム戦争の時代、④冷戦後の配置、パナマ、ソマリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボの例を挙げている。また、9・11後の例としては、イラクやアフガニスタンへの介入の例を挙げることもできよう。さらにいうならば、武力の行使のみが共生を伴うのではない。イランや北朝鮮に対してとっているアメリカの経済制裁は、強制を伴っている。著者自身も本書で、アメリカ帝国は周辺では「帝国主義的」に行動したと述べ、周辺では共生を伴った行動を特徴としていた、と示唆している。

著者はまた、帝国システムを「階層化」、「非対称的な影響力関係」という用語を使って定義しているが、このような用語では、帝国や帝国システムの闇野部分に光が当たらない。帝国システムの基本的特徴の一つは、支配と被支配、「中心」と「周辺」の関係である。支配-被支配、「中心」-「周辺」の関係であっても、協力的なものから抑圧的なものまでさまざまなレベルが存在する。しかし、「帝国」について語る時、その光の面だけでなく闇の面にも目を向ける必要がある。それは、アメリカ「帝国」は支配される立場からどう見えるかという問題である。

古谷旬は、『アメリカ 過去と現在の間』(2004年)の中で、アメリカ「帝国」の原型は1754年のフレンチ・インディアン戦争を契機に形作られていったと指摘したうえで、「自由の帝国」は、インディアンを殺戮しながら拡大した「殺戮の帝国」の側面を持つと述べられている(47頁)。先住民を制圧し屈服させるのではなく、その存在意義を抹殺して作られた。古谷は、現在のアメリカ野「帝国」的性格を内側から規定している、こうした特質二注目する必要があるとしている。

冷戦期を振り返ってみても、イランのモサデグ政権やチリのアジェンデ政権の打倒の事例に見られるように、冷戦期のアメリカは第三世界にしばしば介入した。必ずしも成功したわけではないが、軍事力による直接介入のみならず、政府転覆や要人の暗殺、反政府組織への軍事・資金面での支援が、「周辺」にもたらした人的。物的犠牲を無視できない。米中央情報局(CIA)によるこうした活動は「秘密の活動」であり、表面化しないことが多いが、それでも近年の冷戦史研究は、そうした「アメリカ帝国」の暗部を明らかにしている。アメリカはソ連に対抗するラメに、抑圧的な政権を支持してきた。その意味で、戦後のアメリカの秩序形成が非リベラルな要素を内包してきたことの意味を問う必要があるだろう。

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異常の整理に見られるように、本書尾は多くの有益な知見を提供している。冷戦後のアメリカの国際政治理論の展開過程を分析した第Ⅰ部には、著者による、長年におよぶ国際政治学の研究の成果が存分に反映されており、読者は、冷戦後に見られた多様な対外政策論がどのような過程を経てネオコン二代表されるような帝国論的考えに行き着くことになったかを知ることができる。著者はまた、アメリカ帝国を念頭において、帝国か野動員・景気について興味深い議論を展開している。アメリカ帝国の目的ないしは帝国化の動因として、経済利益の追求、リベラルな価値の促進、それに安全保障上要請の三つを挙げている。この点について著者は、そのいずれかをアメリカの根源的・恒常的な目的だと確定することはできず、現実には、「これら三つの要因が複雑に絡みあっている」、と述べている。ブッシュ政権の下でのアメリカの帝国化の契機を検証するにあたっても、そうした見方は重要な示唆を与えてくれる。

だが、本書の最大の特徴と強みは、第Ⅱ部にある。今日、「帝国」概念が多様化し混沌としてきている中、「帝国」を分析概念として理論的、体系的に展開した本書は、「帝国」論に関する必読書となるに違いない。もとより、評者のコメントは、20世紀のアメリカをどう捉えるかをめぐる歴史認識、現状認識の違いにもとづいており、著者の帝国モデルの理論的枠組みやその論理展開の仕方に向けられたものではない。

本書は、日本国内はもちろん、国際的にも高い評価を受けるに違いない。評者としては、本書の英語版の出版を切に望みたい。

(菅英輝 評)

「帝国」の国際政治学

【東信堂 本体価格4,700円】


1) Lloyd C. Gardner and Marilyn B. Young, eds., The New American Empire (New York: The New Press, 2005). 邦訳『アメリカ帝国とは何か』(ミネルヴァ書房、2008年)。

2) Robert J. McMahon, The Limits  Empire (New York: Columbia University Press, 1999).

3) 拙論「アメリカのヘゲモニーとアジアの秩序形成、1945~1965年」、およびA・J・ロッタ―「交渉されたヘゲモニー」渡辺昭一編『帝国の終焉とアメリカ』(山川出版社、2006年)。

4)秋元英一・菅英輝『アメリカ20世紀史』(東京大学出版会、2003年)。

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