【書評】嶋内佐絵 著『東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換』

東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換

【書評】嶋内佐絵 著『東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換

教育学研究第84巻 第2号 p.107より

本書は、大学などでの英語を教授媒介プログラムとした学位授与プログラムである「英語プログラム」について、日本と韓国それぞれの大学における歴史、実態、特徴を明らかにし、比較考察したものである。本書では「英語プログラム」とは「英語を教授媒介言語・共通語とした教育・研究活動と科目履修のみによって、学士・修士・博士の学位が習得できる教育課程(学部および大学院)」の総称と定義されている。日本と韓国はともに民族的均質性や国家後の普及・熟成度が高く、社会における英語環境が希薄で、なおかつ高等教育への進学がユニバーサルレベルに達している国として共通点があり、両国の高等教育の「英語プログラム」は比較分析に適した対象である。我が国においてだけでも、その実態が必ずしも明らかとはいえない「英語プログラム」について、2か国の調査を行った研究は過去に類を見ないものである。

筆者はまず、両国大学における留学生受け入れの実態、英語教育政策の展開について比較したあと、「英語プログラム」分析のための批判的視座として、非英語圏高等教育における「英語プログラム」のリスクとベネフィットについて先行研究をまとめている。(97頁)ここで、筆者は世界の大学授業の「英語プログラム」化を、国際化の望ましい方向性と断定するのではなく、英語帝国主義、英語格差、授業の質の低下などのいくつかのリスク要因をあげたうえで、「英語プログラム」の積極的な目的を次の3つにまとめている。すなわち、①大学における国際的教育研究拠点の形成と国内・国際的認知度の上昇、②外国人留学生の受け入れ拡大とその質の向上、③国内学生の国際的競争力強化(「グローバル人材育成」・「自国コンテンツの世界化」)である。

まず、筆者は日本と韓国の全大学別ウェブサイトをインターネット調査し、両国の大学の「英語プログラム」の実態についてのデータ収集を行った。その結果、日本の78大学に292の「英語プログラム」があり、韓国45大学に75の「英語プログラム」が存在した(ひとつの学部・研究課ごとに1カウントとしている2011)。日本の「英語プログラム」の約75%は国公立大学で開設されているのに対して、韓国ではその逆に約65%が私立大学で開設されていた。また、日本の「英語プログラム」は6割以上が理系であったのに対して、韓国のそれでは7割近くが文系であった点に大きな違いが見られた。また開設レベルでは、日本はその8割が大学院であるのに対して、韓国では全体の約67%が学部で開講されていた。韓国では「英語プログラム」の開設は比較的早く1980年代から始まり、4割が2005年以前の開設であるが、日本の「英語プログラム」は8割弱が2005年以降の開設であった。(121,140頁)なお韓国の「英語プログラム」で一番多い専攻は国際学とよばれる学際学部または国際大学院(Graduate School of International Studies)と称する大学院で開設されていた。これらのプログラムの実態に関する全国調査はほとんど知られておらず貴重な情報である。

次に、本書のタイトルにある「留学生移動のパラダイム転換」について検討したい。実はこのパラダイム転換という言葉はカバータイトルや章タイトル以外の本文では、「留学や高等教育国際化のパラダイムシフト」(14頁)という言葉でただ1回のみ登場する。では筆者は何を「パラダイムシフト」と呼んでいるのだろうか。第2部第4章以降で「その分析と考察を行う」としているので、そこに目をやると、「英語プログラムはその目的において、対象として「誰を」、「どのような」、言語を介して教えるか」(128頁)がその特徴をなす、としている。したがって、筆者はパラダイムシフトと表現するものは、対象としては、留学生と国内学生がともに出会い学び交流する、「クロスロード型」「英語プログラム」を指し、媒介言語としては、「グローバルを看板にあげていても、英語『を』教えるプログラムに比べて、英語『で』教えるプログラムは圧倒的少数である」(116頁)とあることなどから、英語「を」教えるから、英語「で」教える、へのパラダイムシフトを指しているのではないかと推察される。

とすると、この場合の本書が思い描く新しいパラダイムとは、タイトルにある留学生の移動形態ではなく、「英語プログラム」の目的形態の変容であり、具体的には国内学生対象の「グローバル人材養成型」や留学生対象の「出島型」プログラムから「クロスロード型」プログラムへの転換を意味していると思われる。第5章では、「英語プログラム」のケーススタディとして、日韓の旗艦大学5校、すなわち上智大学、早稲田大学、国立ソウル大学、高麗大学、延世大学で行われている「英語プログラム」を本書のテーマの中心的な実例として分析している。実際には第5章では、それら5校で行われている「英語プログラム」参加者へのインタビューによって、それらの間にある差異や多様性を筆者自らが語っている。すなわち、182頁の概念図からもわかるように、同じ「クロスロード型」プログラムでも、高麗と延世と上智のそれは、図の上方に位置し、すなわち英語ONLYが強調されているのに対し、ソウルと早稲田のものは図の中央に配され、日本語もしくは韓国語での授業を交えた、現地理解への志向も加味している。この分析は丁寧な質的調査によって明らかになった本書の最大の成果のひとつであるが、筆者は前者と後者のどちらにより新しいパラダイムを見出すのかについては語っていない。結局これらをすべてまとめて「新しいパラダイム」としてしまうのであれば、パラダイムシフトの本質を描き出すために、分析結果を十分に生かし切れておらず、残念である。

もうひとつ、本書が「パラダイムシフト」として想定している可能性のあるものとして、留学生同期分析がある。それは第5章第4節に展開する、「新たなるプッシュ・プル要因の出現」と題する節である。留学におけるプッシュ・プル要因の研究は、比較教育学その他において多くの研究があるが、筆者は伝統的なプッシュ・プル要因に加えて、ナショナル・プッシュ/プル要因とリージョナル・プル要因を加えたモデルを提唱している。すなわち、途上国ではない日本と韓国からの英語圏へ留学する動機について、これまでの出身国の教育水準の低さなどのマイナス要因によるものではなく、先進国特有の教育問題(受験競争の苛烈さや学歴のしがらみ)からの脱出を主因としたものや、以前の留学や移住の際に出会った友人への関心から生まれた留学の契機などを「ナショナル・プッシュ/プル要因」として提示している。また特定の国への留学を希望していたものが。経済的理由や語学力のためにそれを果たせず、別の国にセカンドチャンスとして留学するパターンなども「セカンドチャンス型」としてここに加えている(206頁)。さらに「リージョナル・プル要因」として、ある地域の「英語プログラム」を拠点として、その地域内を留学して移動する「地域周遊型」の留学というものを加えている。

これらは質の高いインタビューによってはじめて検出可能な、新たな留学の動機と言え、タイトルの「留学生移動」に直接かかわるシフトであるが、これらを総称して「パラダイムシフト」と称するには、若干の躊躇を伴う。なぜならすでに、先行研究において、「遍路型」や「共同体理解型」といった類似の留学モデルがいくつか提唱されており、それらとの質的な違いが必ずしも明確ではなく、また、「セカンドチャンス型」や「地域周遊型」がパラダイムシフトを起こすほどの規模で展開していることを示す証拠は提示されていないからである。さらには、近年、留学や教育の新たなパラダイムシフトとして展開している、「トランスナショナル高等教育」(現地に留学することなく欧米の大学の学位などを取得できる留学)との関連性を誤解させる危険性を排除できない。

このようにいくつかの優れた分析を評かできる一方、本書がこれらのどれをとって「パラダイムシフト(転換)」と題したのかという疑問は、本書を読了してなお確信に至らないもどかしい印象の原因かもしれない。また、各大学において英語を持ちない、通常の現地語による授業に、留学生を参加させる非英語プログラムのことを「同化型」、そのうち学生の大多数が外国人のみという場合を「離層同化型」と呼んでいるが、「同化」という言葉には、学生に出身国の文化要素を放棄させる、という意味合いが定義上含まれているので、使用には注意が必要であろう。

最後に第5章インタビュー調査のサンプリングについて、筆者は「スノーボール・サンプリング」という方法を採用している。スノーボール・サンプリングとは、「母集団から無作為に回答者を選択し、これらの回答者に次の回答者を紹介してもらう方法」(166頁)であるという。筆者も自ら指摘しているとおり、この方法は、短期間に効率の良い質問ができる反面、回答者の属性や国籍が偏る危険性がある。それらの事後調整は可能であるかもしれないが、それ以上に、回答者の考えや意識の偏りのほうが深刻な問題点であろう。今回数的処理はしていないので、この問題の危険性は低いが国際比較分析をするにはサンプルの代表制には注意が必要であろう。

筆者も今後の課題のところで述べているように、現在、教職員やアジア以外の地域から留学生への調査を継続中であり、本研究のその領域への発展と成果がおおいに期待される。

 

杉本均(京都大学)

東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換

【東信堂 本体価格3,600円】


【書評】嶋内佐絵 著『東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換』

比較教育学研究第56号 書評 p.213より

 

グローバル化の進展に伴い、国境を越えた人的交流が活発化する中、アジアや欧州における非英語圏の国や地域の大学で「英語を教授媒介言語・共通語とした教育・研究活動と科目履修のみによって、学士・修士・博士の学位が取得できる教育課程(学部および大学院)」(10頁)が増加している。著者は、この種の学位課程の総称を「英語プログラム」と定義づけている。本書が研究対象とする日本と韓国の大学でも、英語プログラムは2000年代以降設置が相次いでいる。本書は、この極めて現代的なテーマについて比較教育学のメソッドを用い、両国における英語プログラムの発展と包括的な様相を明らかにしたうえで、質的調査によって、英語プログラムが大学の国際化と留学生移動にもたらした変化、並びに英語プログラムの類型化や志向性を様々な側面から解明しようとする研究をまとめたものである。理論的枠組みの整理においては、比較教育学だけでなく、国際関係学や社会言語学の理論も用いて多様な視座から俯瞰的に英語プログラムを捉えようとしている。これは、著者が在籍していた早稲田大学アジア太平洋研究科の際立った学際性により培われたものであろう。
本書は以下のような構成となっている。

序 章 英語「で」まなぶ高等教育プログラムへの視点
第一部 高等教育の国際化と「英語プログラム」
第 1 章 東アジア地域の高等教育と言語
第 2 章 日韓における「英語プログラム」の発展と様相
第 3 章 「英語プログラム」分析のための批判的視座
第二部 「英語プログラム」がもたらす留学生移動と国際化のパラダイムシフト
第 4 章 日韓「英語プログラム」の形態分析と類型化モデル
第5 章 日韓旗艦大学の「英語プログラム」におけるケーススタディ
終 章 おわりに

なお、本書では、日中韓とASEAN諸国を含んだ地理的範囲を「東アジア」と定義している(12 頁)。
第一部では、まず東アジアの高等教育の国際化、教育交流、言語政策について欧州の状況も参照しながら概観している。次に、日韓の高等教育の共通点と比較の妥当性を提示し、両国における高等教育政策の変遷や英語の社会的・文化的位置づけを明らかにしている。その上で、アルトバックの「従属論」、言語ナショナリズム、学術における英語の覇権性や優位性の観点も参照しながら、「西洋化」「英語格差」「授業の質の低下」といった非英語圏における英語プログラムで見落とされがちなリスクを明確にすることで、分析のための批判的な視座を提示している。
第二部では、著者のインターネット調査による日韓における英語プログラムの全大学調査の結果に基づき、英語プログラムの形態分析を行い、3 つの類型化モデル、即ち、在籍学生の大多数(約9 割以上)が国内学生である「グローバル人材育成型」、在籍学生の3~7 割程度を留学生が占め、国内学生と共に学ぶ「クロスロード型」、主に外国人留学生(在籍学生の約9 割以上)を対象とした「出島型」を提示している。そのうち、筆者が旗艦大学と称する国内外で評価の高い韓国の3大学、日本の2 大学における人文・社会科学系の学際的な英語プログラム(クロスロード型)をケーススタディとして取り上げ、そこに在籍する東アジアからの学位取得目的の留学生34 名への聞き取り調査を中心に、両国における英語プログラムの実態や志向性を明らかにしている。
評者が特に注目した点について述べたい。まず、「英語による学位プログラム」の包括的な把握とその手法である。日本の場合、この種のプログラムのリストは、文部科学省、日本学生支援機構、民間の日本留学支援組織等によるものが存在する。しかしながら、未だ英語による学位プログラムの定義は曖昧であり、文部科学省と日本学生支援機構のリストに掲載されるプログラムの不一致、あるいは年度によって、該当するプログラムの基準が異なるといった混乱も見られる。こうした中、著者は英語による学位プログラムの定義を明確にした上で、学部・研究科を基本的な単位としてプログラムをカウントするという手法を用い、インターネットを利用した調査により日本と韓国の大学が提供する全ての英語による学位プログラムを把握した(2013 年度現在)。また、調査の際に、英語による学位プログラムの比較に有効な指標群を活用してデータを収集したことにより、日韓における英語学位プログラムの全容を提示することに留まらず、学生構成や専攻・カリキュラムに関する比較分析やプログラムの形態分析を通して、実証的にプログラムの類型化を行ったことは、本書の大きな学術的貢献である。
日本では「英語プログラム全体の約85%は大学院で開講されていること」(117-118 頁)、全体では理系のプログラムが約6 割を占める一方で、私立大学では文系分野が多いこと、「学部レベルでは20 プログラム中、13 プログラムがリベラルアーツ教育を行っている」(119頁)ことなどが特徴として示されている。一方、韓国では、「6 割以上が学部レベルで開講されている」(137 頁)こと、「7割近くが文系分野の英語プログラムで」(139 頁)あることなど、日本とは異なる傾向がある点を明らかにしている。英語プログラムは、入学してくる学生の学力や語学力によって様々なプログラム形態が存在するが、両国に共通する問題として、「英語プログラム」を標榜しつつも、専攻を英語「で」学ぶと言うより、国内学生を対象に英語「を」学ぶ(英語教育)がカリキュラムの中心となっているプログラムが多数存在していることである(グローバル人材育成型に集中)。これは、少子化の進む日本や韓国において、グローバル人材育成型の英語による学位プログラムが、国内学生獲得(国内競争のための国際化)の切り札として設置されていることを意味している。一方、外国人留学生を主たる対象とする出島型の場合、学部・研究科の一部に設置された小規模な専攻コース型のものが多いため、英語による授業科目数が相対的に少なく、学生にとっては履修選択の幅が限られているという問題がある。また、国内学生と外国人留学生が混在し、共に学び合うクロスロード型は英語プログラムの理想形を示していると言えるが、留学生のリクルーティングを始め、多様な学生の能力とニーズに合った学生生活支援、カリキュラムの複線化など大掛かりなインフラ整備が必要なため、大規模私立総合大学に集中しがちである。詳細な調査や研究の蓄積が乏しい極めて今日的テーマである「英語プログラム」について、本書が日韓の高等教育における全体像と特徴を明示した意義は非常に大きい。
日韓の旗艦大学のクロスロード型英語プログラムに在籍する、東アジアからの留学生を対象とした聞き取り調査では、英語プログラムに集う留学生の志向性やプログラムの現状について、より具体的な輪郭を描き出している。留学生は米国の大学で見られるような双方向性の授業を期待して入学したものの、実際には東アジア的な一方通行の講義が多かったという教授法に対する不満からは、留学生の西洋志向が垣間見える。教員間または学生間で英語力の差異が大きく、それが教育の質の低下に繋がることを不安視する声、米国で作成された教材には日本や韓国の視点が欠落することが多いことへの違和感なども示されている。学生たちの率直な口語表現をそのまま引用することで、英語プログラムの理想と現実のギャップを浮き彫りにしている。一方、英語プログラムの魅力として、様々な国籍・背景を持った学生が共に学ぶ多様性をあげる留学生の声も多く紹介されている。「英語という世界の共通語を教授媒介言語とすることによって、今まで日本や韓国の高等教育が惹き付けられなかったような様々な背景を持った学生を集め」(238 頁)ることができるのが英語プログラムのメリットであると、著者もその多様性を肯定的に捉えている。上述のような学生からの不満の声は、学生の多様性が高まれば高まる程、複雑化する問題であり、英語を共通言語とすることで生まれる宿命とも言えるが、留学生受入れの意義を再考・再構築する機会をもたらす。
現代的テーマであるが故に、本研究が実施された2013 年度以降、さらに多様な英語プログラムが新設されており、その様相は刻々と変化を遂げている。高等教育の国際化において英語による学位プログラムの需要や注目が高まる一方、アジアにおけるこの分野の研究の蓄積は発展途上にある。著者が全大学調査で日韓の高等教育における英語プログラムの全容を明示し、この分野の研究の礎を築いたことにより、今後は他の類型のケーススタディ、組織運営・カリキュラム構造、学生募集等さらに多様な視点からの研究が蓄積されることを期待したい。

太田浩(一橋大学)

東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換

【東信堂 本体価格3,600円】

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