【図書紹介】日英教育学会編『英国の教育』

教育行財政研究   第46号   2019年 Book Review

日英教育学会編『英国の教育』

 

 

1.本書全体の特徴

当時日英教育学会代表であった上田学が、序章「本章の刊行にいたる経緯」で記しているとおり、本著出版の直接のきっかけは、「英国の教育にかかる入門書を紹介してほしい」という、当学会への朝日新聞からの依頼にあった。上田は「専門学会としての社会貢献」(13頁)と記しているが、本書出版にあたっては、出版の是非、形態、内容等について運営委員会で時間をかけて議論した。今日の教育政策は英国に限らずめまぐるしく変化する、そうした変化をアップトゥデイトに伝えるためには、ペーパーベースではなくデジタルなものとして出版し、改定していくほうがいいという意見も強かった。それに対し、時流に流されるような情報提供ですませたくない、英国の教育の「でわのかみ」的紹介ではなく、歴史、文化、社会という英国の土壌から育まれてきた英国教育の有り様を伝えたい、という思いも強かった。結論的には、両方が求められることは言うまでもなく、本書をあらためて読む機会をいただき、( 1 )英国教育の日常の姿をありのままに伝える、( 2 )英国の土壌から育まれてきた英国教育の心髄を伝える、という二つの特徴が本著の編集意識に貫かれていると実感している。

こうした視点から、まず、本書の全体の構成に着目すると、第 1 章「英国の社会的・文化的背景で知っておきたいこと」、第 2 章「英国教育の歴史」に50頁あまりの頁数をとり「英国教育の土壌」を述べている。以下、第 3 章「英国の学校と教員」、第 4 章「英国の大学」と続く。この類の外国教育を紹介する書物の多くは、初等、中等、高等教育を論じることに力を注ぐのだが、それにあたる本書のこれら二つの章はむしろ抑え気味に構成されている。このように比較的知る機会の多い教育の「メインコース」だけではなく、そのメインコースの土壌となる「歴史、文化、社会」と「メインコース」の「周辺部分」とみなされがちな「保育」や「成人教育」「職業教育」「PSHE(人格・社会性・健康・経済教育)」等にも、相応の頁数がさかれ、英国の教育の土壌と全体像を示そうとする意図が見て取れる。また、「 4 章 英国の大学」でも第 3 節に「若年労働市場」が設けられていることも、こうした観点から興味深い。学校教育についても制度的な説明はむしろ控えめに、その実像を描くことに傾注されている。

 

2 .各章・節の紹介

これらの特色は各章でも見て取れる。もっとも、工夫の余地があることは否めない。第 1 章の 1 節は「政治的背景」であるが、サッチャー以降に多くの頁を割き、保守党、労働党、連合政権と続く政権交 代に「教育政策の連続性」を指摘し、「戦後の福祉国家コンセンサスと異なる新しいコンセンサス」(22 頁)の成立を指摘する。この指摘がなされる前段階として、戦後1960年代までの「福祉国家コンセンサス」も論じている。学術的に興味のある指摘であり、スジのとおった専門性の高い論説となっている。ただ、この「コンセンサス問題」だけではなく、英国政治の伝統、英国政治の普遍的なるものについても、もう少し語ってもらいたかった思いは残る。

もっとも、こうした要求は紙幅の問題があって高望みなのだろう。第 2 節「文化的背景」についても同様のことが指摘できる。ほんの10頁足らずで英国の文化全体を語ることには無理がある。そこで、ここでは、英国王室制度、国教会制度、階級問題に論点を絞っている。この三点と英国教育とのかかわりを述べるだけでも10頁ではとても不十分なのだが、執筆者は実にコンパクトにまとめている。

 

第 2 章の「英国教育の歴史」第 1 節の「高等教育の歴史・特色」については、オックス・ブリッジから始まり、国教会の大学への影響(支配)、それからの解放、戦後とりわけ1960年代以降の大学の多様化と拡張を紹介し、英国高等教育の歴史を論じる「王道」がそこにはある。

一方、第 2 節、第 3 節は本書の特徴を示すものとして、ぜひご一読いただきたい。第 2 節は「初等・中等教育の歴史・特色」について、その歴史的な制度の変遷を表面的にたどるのではなく、「英国国教会と非国教会派の対立、政治政党を巻き込んだ社会階級間の葛藤、そして特権的私学の伝統と公設学校との葛藤」(51頁)という「今日に至るまで英国社会とその教育に根深く色を残している」(51頁)英国の社会文化政治構造を基盤に「初等・中等教育の歴史・特色」を論じている。

続く第 3 節は「女性と教育の歴史・特色」であり、ジェンダーの視点から女性への教育の変遷が論じられており、本書にさらなる特色と価値を付け加えている。筆者によると、英国においても「主に学校制度の歴史を扱った1970年代までの教育史テキストの多くは、男性が受けた教育についてしか語っていなかった」(67頁)が、1980年代にその伝統的な教育史研究の転回点が訪れる。そこでは、「子ども史、家族史、社会史研究の興隆を背景に、家庭を生活の場としてきた女性にも照明が当てられ、男性とは異なる女性の教育経験に視線が注がれるようになった」(67頁)。そしてもう一つの契機は、米英における1960年代末からの第二派フェミニズムと女性学の勃興であり、「ジェンダーの視点からの教育史研究」が開花する。ただ、英国における女性の教育や地位が歴史的に高かったわけでは決してない。産業革命を世界に先駆けて成し遂げたイングランドにおいて、工業化と都市化の影響を受けて「夫は社会で働き、妻は家族を守る」性的役割分業が成立する。新興中流階級家庭における多くの娘たちの教育目標は「よき妻、よき母」になることであった。伝統的なエリート校パブリックスクールも男性中心である。さらに、第 5 章 1 節で詳しく述べられるが、保育も伝統的に家族の責任とされ女性がそれを担った。しかし今日では、世界経済フォーラムによる最新(2018年度)のジェンダー・ギャップ・ランキングは英国が149か国中15位、我が国は110位である。我が国が英国から学べることはまだ多い。

 

第 3 章「英国の学校と教員」でも、制度的な説明に頁を割くことは抑えられている。むしろ、現地の学校を訪れ、話を聞くことでしか得られないような学校の実際の姿が描かれている。例えば第 2 節「LA管理の公営学校」では、学校選択の手続き(学区内の学校を通常 6 校選び、定員を超えた場合は次点の学校になる、というようなこと)、学校生活、教員だけではない多種多様な学校従事者や学校支援員の姿が、限られた頁数の中で凝縮して紹介されている。

一方第 3 節の「新しいタイプの公営学校」は、我が国の常識からは想像しがたい公営学校(英国では教会立の「公営学校」もあるので「公立学校」ではなく「公営学校」と称される)の改革が紹介されている。その中心となるアカデミー政策は2000年代初頭労働党政権で誕生した。その特徴は民間が資金を提供することができ、一定の学校経営権限も付与される点にある。しかし、当時はまだ貧困地域や成績不振の地域における教育水準の改善のための中等学校であり、全公営中等学校の約 6 %に過ぎなかった。それがその後のキャメロン連立政権は、中等学校だけではなくすべての学校がアカデミーとなることを可能とし、2016年 1 月時点で中等学校の 6 割以上がアカデミーになっている。こうした政策動向は学校経営の自由や公教育管理の在り方の根幹にかかわる改革であり、本節はこの動向をわかりやすくかつその意味も的確に分析し、学術的にも読みごたえのある節となっている。

英国の学校制度を特徴づける一つはパブリックスクールに代表される独立学校である。第 4 節はその独立学校をとりあげ、その歴史、今日の実際の姿を紹介している。英国教育の初学者でも専門家でもだれでもがおもしろく楽しく読める節となっている。それに対し、第 5 節の学校理事会は専門家向きの節といえる。学校理事会は学校経営を担う組織であるから、第 3 節のアカデミーとセットで読むことができる。本節もそうした教育ガバナンスの視点からアプローチを行っており、すこぶる学術的な論考となっている。ただ、学校理事会のいろはから学びたい読者にとっては骨の折れる節だろう。また、今日我が国でも学校理事会に似た学校運営協議会制度が導入されている。しかし、学校理事会と比べ権限がまだまだ小さい。歴史も浅く経験も乏しい。本節は我が国のこうした動向を念頭において読んでも面白い。

第 6 節の教員養成も歴史から書き始められている。我が国の教員養成は戦前と戦後で大きく異なることは言うまでもないが、戦後「大学での教員養成」原理と国家的な制度管理によって、その制度は比較的一様である。しかし、英国の場合は時代による制度の異なりだけではなく、今日でも教員養成の場、ルートが多様でなかなかわかりにくい。ただ、その大きな特徴の一つは学校現場での養成が重視され、その方向性が強められている点にある。本節はそうした特徴を分かりやすく説明し、加えてイングランドだけではなくスコットランドの教員養成についても紹介している。

 

第 4 章は大学についての章である。第 2 章 1 節で大学の歴史が論じられているので、本章は今日の具体的な姿が紹介されている。第 1 節は「大学のしくみ・制度」である。高い自律性が保たれていた大学が、補助金交付制度の変更や研究評価・教育評価の導入により、政府と大学との関係が変化している。この変化に日英の違いがなく、大学人として身につまされる。また、本章では、学位に等級があることや授業料の値上げ、高等教育行政官庁の変遷なども紹介され、興味深く読むこともできる。

第 2 節は入試制度が論じられる。英国にはGCEという旧来からの資格試験があり、近年ではBTECなどの職業資格等からも大学教育への進学ルートが開かれていることをご存じの読者は多いであろう。本節はもちろんそうした点にもふれられてはいるのだが、興味深いのは「大学出願から合格決定のプロセス」に比較的多くの頁が割かれ、英国大学入試の日常が紹介されている点である。周知のとおり本節執筆者は長年大学入試センターに勤務し、入試研究の第一人者である。その専門的な識見を基盤にして、アカデミックな記述はむしろ控えめに、日常の姿の紹介に注力していることに興味がひかれる。

先に指摘したとおり、本章の第 3 節に「若年労働市場」が設けられている。ここでは、学卒者の進路、就職状況、就職活動、キャリア形成が記されている。出口保証が大学の重要な機能であることは今日に限ったことではないだろう。にもかかわらず、この分野への学問的な取り組みが弱かったことは否めないように思う。その意味からも本節は本書の価値を高めている。

 

第 5 章は就学前教育・保育、成人教育、職業教育が記されている。まず、第 1 節は保育が紹介される。先にも述べたが英国は保育制度のむしろ後進国であり、保育への公的な取り組みが本格的に始まるのは、1997年に発足する労働党政権からである。そうした歴史が世界とは異なる保育の姿を生み出してきた。その代表がチャイルドマインダーとナニーであり、今日でもその伝統は息づいている。ちょうど本稿執筆時に映画「メリー・ポピンズ」の続編が封切られているが、その主人公がナニーである(一方、映画「王様と私」の主人公はガヴァネスとよばれる女性家庭教師で中産階級出身であった。ナニーの階層は低かった)。第 2 節は就学前教育が記され、ここでも最初に歴史が記され、そのあとに労働党ブレア政権以降の取り組みが論じられている。

第 3 節の成人教育も英国の伝統が強調される。その伝統とは「職業訓練や職業教育とは一線を画した形で、人々のボランタリーな活動をベースとした成人教育」(183頁)である。ただ、1980年代以降、他の国同様、成人教育の主流は職業教育・訓練へと移行する。しかしそれでもなお「偉大な伝統」の断片は潜んでいると述べる。それは、社会的な不利益を被っている人々を対象としていること、成人教育の運営に市民ボランティアが多くかかわっていることであるとし、「社会から排除される人を生み出さな い互恵的な学習が維持されている」(191頁)ことが強調される。それでは、職業教育に英国の特徴はないのだろうか。第 4 節では職業教育が論じられ、その特徴は、法的拘束力を持つ国家基準は存在せず、民間の団体が提供する多種多数の資格で構成されているボランタリズムにあるとされる。ただ、今日ではGCEに代表される一般教育資格、一般職業・職業関連資格、特定の職業資格を一つの枠組みの中で関連付ける包括的な資格体系が政権によって整備されつつあり、これも英国の大きな特徴といえる。

 

第 6 章では、今日的に注目を集める取り組みが紹介される。第 1 節は特別ニーズ教育である。

「ウォーノック報告」という言葉を聞いたことのある読者は多いと思うが、その先進性を十分理解している読者は意外と少ないのではないか。つまり、「多角的に教育的ニーズを把握する視点」がこの1978年の報告書ですでに提起されている。我が国においてこの視点に基づき特別支援教育が制度化されたのは2007年である。本節は、この我が国の法制度改革が「英国の特別な教育的ニーズへの対応制度の本質を十分に消化しないままに、表面的に模倣したような用語や制度導入をはかってしまった」(209頁)と批判している。この詳細をぜひ本節で読んでほしい。日英の実践的な取り組みの違いが実によくわかる。

第 2 節はシティズンシップ教育、第 3 節は性教育、第 4 節はPSHE(人格・社会性・健康・経済教育) が取り上げられている。これらすべての分野で日英の比較を意識して読んでみてはどうだろう。単純に我が国の後進性に気づかされる。我が国の道徳教育にもっとシティズンシップ教育の視点が取り入れられないのか。そもそもこの二つは似て非なるものなのか。英国の性教育は宗教や政治による制限を受けつつも、より現実的に10代の妊娠や性感染症の問題を背景とした性教育が推進されているという。我が国ではいまだ「七生養護学校事件」から大して前進していない感がある。またLGBTにかかわる教育も英国では「セクション28」問題として特異な対立・論争があった。我が国でも正面からとりあげる環境がようやく整いつつあるのではないか。PSHEについても、英国では必修教科ではないにもかかわらず、ほとんどの学校で取り入れられているという。ここにも彼我の差を思い知らされる。

 

最後に、本書は「読む辞典」をめざし、索引が丁寧につけられ、教育年表等の資料も付されている。さらに、略語やGlossaryに多くの頁をとって、原語→訳語の順で掲載されている。ここには研究者間の訳語の統一ができればという思いもあった。加えて、ふんだんに写真を載せ、読み易くする工夫も凝らされている。また、各節の終わりには「文献案内」が記され、さらなる学びのトゥールを提供している。

 

(京都女子大学 谷 川 至 孝 評)

[東信堂 A5判 328頁 定価3672円]

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