【書評】中村隆夫著『象徴主義と世紀末世界』

中村隆夫著『象徴主義と世紀末世界

週刊読書人 第3311号 2019年10月18日

秋丸知貴より

 

象徴主義とは、一体何だろうか?

 

 通常、象徴主義の絵画としては、19世紀後半のモロー、ルドン、クノップフ、クリムト、シュトゥック等が挙げられる。しかし、全体的に憂愁(アンニュイ)調であることを除いて造形様式は千差万別で共通項を取り上げにくい。そのため、従来は単に時間的な括りで曖昧に「世紀末芸術」と呼ばれることも多かった。

 

 一方、同時代に主流化した印象主義の絵画には、明確な共通の造形様式がある。それは、原色の油絵具を斑点状に並置し、網膜上で視覚混合して明るい画面を実現する筆触分割である。この手法は、チューブ入り油絵具の発明で野外写生が可能になり、強烈で変化しやすい外光を描写するために生み出されたとされる。

 

 著者の美術評論家・中村隆夫は、象徴主義と印象主義が正に同時代現象であることに着目する。つまり、象徴主義をそれ自体ではなく印象主義との相反的対比により特徴づけるのである。

 

 まず、印象主義は物体の表面で瞬く光の反射のみに集中する。それは、目に見える物質世界だけを信頼するという現実主義的態度の表れである。その点で、貨幣経済や科学技術を急速に発達させた同時代の合理主義精神の反映の一つである。印象主義こそは、近代生活を謳歌する明朗快活な新興中産階級(ブルジョワジー)のための美術である。

 

 これに対し、象徴主義は目に見える背後の儚く幽かな精神世界を描こうとする。それは、この世界には此岸的価値ではなく彼岸的価値、換言すれば金額には還元できない価値があると信じる理想主義的態度の表れである。彼等は、近代生活の喧噪には適応できずに病みがちで退廃的ではあるが決して絶望はしていない。言わば、象徴主義は精神的貴族のための美術である。

 

 象徴主義は、世俗的幸福には満足できない。お金で買えるものではなく、失われた宝物や楽園こそを愛惜する。幻滅の多い現実に対しては、耽美こそが救済となる。彼岸への憧憬は、死を魅惑的なものと感受させる。肉欲は悩ましく狂おしいが、魂は一途に永遠の絶対的愛を希求する。これこそ、象徴主義の代表的主題として19世紀末に大流行した「運命の女(ファム・ファタル)」の含意である。その芸術的昇華の典型を、私達は愛する男の生首と見つめ合う美女サロメに見出すだろう。

 

 厭世は崇高な神聖を求めるが、科学万能の時代にはもはや既成宗教に素朴な信仰心は抱きがたい。そこで、象徴主義は異教的神秘主義とも縁が深くなる。本書は、19世紀末に活躍した神秘主義思想家ジョゼファン・ぺラダンや、彼の主催した薔薇十字展の日本では数少ない貴重な研究書でもある。

 

 近代化は、印象主義が体現する「昼の精神」により推進された。その恩恵は、計り知れない。しかし、人間の真の幸福には、それと相補的な象徴主義に暗示される「夜の精神」もまた必要なのではないだろうか。本書は、キュビスムやシュルレアリスム等の20世紀美術も視野に入れつつ、そうした象徴主義的心性を広く深く精神史に探る試みである。

 

(東信堂 本体価格2600円+税)

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