【書評】犬塚典子著『カナダの女性政策と大学』

教育行財政研究 第46号 2019年

犬塚典子著『カナダの女性政策と大学』

 

1999(平成11)年 6 月23日に公布・施行された「男女共同参画社会基本法」は、男女共同参画社会を「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」(第 2 条)と定義している。言い換えれば、男女共同参画社会は、男性も女性も、意欲に応じて、仕事、家庭生活、地域における活動などさまざまな活動をそれぞれの希望に沿った形で展開できる社会である。政府は、同法を中核として、 5 年ごとに策定される男女共同参画基本計画に則って、「フェアネスの高い社会」を構築するため、多面的な施策を包括的に実施してき た。しかし、現実的には「男社会」が根強く残り、女性はさまざまな困難に直面せざるを得ない状況に置かれている。

大学に焦点を当てると、大きく大学教育における平等と大学教員としての雇用における平等に分けられる。前者に関しては、2015(平成27)年度における高等教育段階の女子学生の割合は、大学(学部)44.1%、大学院修士課程 30.4%、大学院博士課程 33.1%であり、男女雇用機会均等法が施行された1986(昭和61)年がそれぞれ24.1%、14.4%、12.5%、また、男女共同参画社会基本法が施行された1999(平 成11)年度がそれぞれ36.2%、26.1%、24.9%であったのに比較すれば一貫して増加している。とはいえ、これらの数値はOECD平均に比べると非常に低く、加盟国中最低レベルである。加えて、医学部入試における女性受験者に対する不当な得点操作が明らかになるなど、大学教育における男女平等の実現に向けて多くの課題が存在する。

一方、後者に関しては、政府は第 4 次男女共同参画基本計画で大学の教授等に占める女性の割合を2020(平成32)年までに、教授等(学長、副学長及び教授)で20%、准教授で30%とする数値目標を掲げているが、2018(平成30)年度における現状はそれぞれ16.7%、24.6%、全体でも24.8%にとどまっており、特に教授等に占める女性の割合が低い。2016(平成28)年度のOECD平均は41.5%であり、これと比較してもOECD諸国の中で最も低い。各大学が掲げた数値目標も未達成のところが多く、大学における男女共同参画社会の実現の進捗の歩みは遅い。このような現状をいかにして改善していくのか。

カナダの教育政策を中心に研究してきた著者は、そのヒントをカナダの政策から引き出そうとする。カナダは、市場が改革を牽引するアメリカと異なり、政府主導の政策によって改革を牽引する点でわが国と同じタイプに分類されるが、女子学生比率、女性教員比率ともに着実に増加しており、日本が第 3 次男女共同参画基本計画で2020(平成32)年の達成目標として掲げていた女性教員比率30%も2000年代前半に達成している。

本書は、その歴史を女性の大学への応募が認められた1870年代後半から丹念に読み解き、国や州の政策と政策によってもたらされた変化を詳細な数値と書誌データを追うことで実証的に論じるとともに、これらに基づいて、カナダの歴史から得られる日本への示唆を提示した挑戦的な著作である。

 

本書のキー概念と構成

本書では、カナダの政策とそれらがもたらした変化を、「女性の地位」をキーワードとして、①女性の地位向上、②雇用における男女平等、③仕事と私生活の両立の 3 つの視点から整理している。

これらに対する国・州による政策は、男女平等のための基本政策、雇用政策、両立支援政策であり、本書ではそれぞれの画期となるものとして1967年の「女性の地位に関する政府調査委員会」の設置、1986年の「雇用公平法」、1996年の「雇用保険法」に注目し、政策成立の背景を国内外の状況から読み解き、大学における「女性の地位」がこれらの政策によってどのように影響を受けたかを明らかにしている。

本書の構成は以下の通りである。

 

序章 本研究の課題と方法

  • 第 1 節   本研究の課題と対照
  • 第 2 節 先行研究の検討と方法

第 1 章 「女性の地位に関する政府調査委員会」による政策形成─教育へのアクセスを求めて─

  • 第 1 節 カナダの大学と女性─歴史的展望
  • 第 2 節 「女性の地位に関する政府調査委員会」
  • 第 3 節 教育へのアクセスを求めて─「女性の地位」に関する大学の対応

第 2 章 「雇用公平法」と大学─研究職へのアクセスを求めて

  • 第 1 節 雇用公平法成立までの背景
  • 第 2 節  雇用公平法の成立と改正─連邦契約事業者プログラム(FCP)
  • 第 3 節 雇用公平法に対する大学の取組

第 3 章 両立支援政策と大学─ワーク・ライフ・バランスを求めて

  • 第 1 節 カナダの両立支援政策
  • 第 2 節 大学の両立支援事業
  • 第 3 節 ケベック州の政策と大学の取組終章 総括と今後の研究課題

 

大学における女性の地位向上はどのようにしてもたらされたか─大学教育へのアクセスと雇用

18世紀終わりから19世紀にかけて創設されたカナダの大学では、女性の入学は認められていなかった。1877年にトロント大学が女性のための選考試験を開始し数名の合格者を出したが、学長の強い反対により入学は認められなかった。これを覆したのは、新聞によるキャンペーン、州の教育長官と議会による政治行政的圧力であった。また、同じく女性の入学を認めるか否かで結論が出せなかったマギル大学では、篤志家からの寄付金によって女性コースが開設されたことにより女性の入学が実現した。いずれの大学においても1884年に女性の入学が認められているが、女性の大学教育へのアクセスは、教育理念や教育方針といった大学の内部要因ではなく、外部からの圧力と財政的援助によってもたらされた。

第一次世界大戦開始による男性の動員は、女性の参政権の成立という形で女性の地位向上をもたらした。政治的な意思決定における女性の地位の向上は大学にも間接的に波及し、大戦中、大戦後を通じて女性の進学者は増えていく。さらなる増加が見られたのは、第二次大戦後である。第二次大戦後の大きな動きとして女性寮設備の充実がある。退役軍人学生を収容するために新しいタイプの学生寮が設置され、女性の入寮も認められた。そして、寮の自治会活動を通じて政治的な能力を向上させた女性学生、従軍経験により社会的な地位を得た成人学生たちによって女性寮建設の運動が展開され、実現を見たのである。女性寮の充実は女性学生の進学を支えるものとなり、このあとベビーブーマーが大学進学年齢に達する1960年代から男女ともに大学進学者が爆発的に増えていくのに伴って、女性学生の比率も急速に増加していく。1975年には女性学生比率は42.4%にまで達した。

このように大学教育へのアクセスが拡大する一方で、女性教員の比率は低いままであった。

大学における女性の地位向上に大きな役割を果たしたのが、女性団体のロビー活動により1967年に設置された「女性の地位に関する政府調査委員会」である。1946年に国連に設置された「女性の地位委員会」、1961年にアメリカで設置された「女性の地位に関する大統領委員会」がこれらの女性運動家に大きな影響を与えた。同委員会が大学における女性の地位の向上に果たした役割は、主として公聴会への出席や報告書の作成によって大学人の意識が高まったこと、その結果各大学に「女性の地位委員会」が設置されたこと、助成金を通じてさまざまな共同体とネットワークの形成が行われたことである。しかし、これだけでは女性教員の比率は改善されなかった。1960-61年に11.4%であった女性教員比率は1980-81年でも15.5%に過ぎず、改善のためには別の政策が必要であった。

 

雇用における平等の実現─雇用公平とアファーマティブ・アクション

雇用における女性の地位向上が実現しなかった要因として、著者は大学風土を指摘している。この大学風土の改善と、それによる大学教授職における男女格差の解消が1980年代以降の課題となる。こうした男女格差解消の基盤となったのが、1986年の「雇用公平法」である。

「雇用公平法」成立を強く後押ししたのが、1982年の「1982年憲法」の制定である。憲法の第 1 章にあたる「カナダ人権憲章」のなかで、「法の前及び法の下の平等、法の平等な保護及び法の平等な恩恵を受ける権利」「アファーマティブ・アクション・プログラム」に関する規定が設けられ、これに基づいて調査や政策の策定が進められた。雇用の面では、マイノリティに対する構造的差別を解消するための方法を調査しアファーマティブ・アクションに関する勧告を行うことを目的とする「雇用の平等に関する政府調査委員会」が設置され、その報告書の中で用いられた「雇用公平」という用語がその後の雇用政策を導く象徴になっていく。この報告書を下敷きとして「雇用公平法」が制定され、同法によって雇用公平に関するプログラムが開始された。その中で、大学に大きな影響を与えたのが「連邦契約事業者プログラム(FRP)」である。

FRPは連邦政府と 1 契約20万ドル以上の契約を締結し100人以上を雇用している使用者に対して雇用公平を実現するための義務を課すものであるが、連邦政府と20万ドル以上の研究プロジェクトなどの契約を締結する大学もその対象となったのである。対象となった大学には雇用公平実現に向けた数値目標の設定や計画および指針の策定、モニタリングを行う組織が設置され、女性教員の比率は徐々に改善されていった。

 

残された課題─家族の再生産と両立支援

大学において、女性が、妊娠・出産を経ても学生としてあるいは教員として学業や研究・教育活動を継続していくためには両立を支援するプログラムが必要であるが、これらは主としてサービスの提供による支援と経済的な支援にわけられる。保育サービスに関しては、多くの大学で学内保育事業が実施されている。定員や対象年齢、利用料などは大学により異なるが、待機者が多いこと、費用が高額であることから利用のしやすさという点では課題がある。経済的な支援に関しては、これらが法制度として体系的に整理統合されたのは失業保険法を前身とする「雇用保険法」によってである。連邦政府による親休業給付期間が35週と定められ、州の定める出産休業・親休業期間中に合計50週間、休業前所得の最大55%が給付される。またこれに加えてほとんどの大学で、休業前所得と給付金の差額を90%まで補てんする上積み給付を行っている。

「大学」という特殊な場所では、以上の他に、妊娠・出産、子育てにより研究・教育活動が一時的にストップすることに対する配慮も必要となる。テニュア審査期間の一時休止などの措置が行われているが、昇進や昇給に負の影響があるのを恐れて利用を躊躇する者も多いのが現実である。女性教員比率の向上を大きく前に進めるためには、保育サービスの充実や経済的支援以上に、キャリア・パスに対する配慮と支援が不可欠であり、この点についてはカナダにおいてもまだまだ課題が残っている。

 

女性の地位と男女共同参画社会

カナダの政策とわが国の政策を比較してみると、政策による牽引を変革の原動力としていること、その際、不必要な混乱を避けるための配慮が行われていること、ペナルティよりもインセンティブを重視する方針であることなど共通点も多い。しかし、カナダが雇用公平法以後20年で女性教員比率を10%台半ばから30%に向上させたのに対し、わが国では男女共同参画社会基本法制定後20年が経過した現在においても25%弱に届いたにすぎず、改革のスピードは遅い。この違いはどこからくるのだろうか。

著者は「女性の地位」という政策概念に注目しているが、これは重要な視点であろう。わが国で用いられる「男女共同参画社会」は、さまざまな場面において男女が共に協力するというマイルドなイメージを与えるが、「女性の地位」には差別的な扱いに抵抗して女性の人権の促進と変革を目指すラディカ ルなメッセージが込められている。カナダの政策では「女性の地位」という用語が一貫して用いられ、当事者である女性教員や女性学生自身の運動やネットワークの組織化につながっていく。わが国では、ウーマンリブ運動が停滞し脱政治化されたフェミニズムへと変質した過程を見ても、こうした運動が生まれにくい歴史的風土、社会的通念が存在するうえに、「男女共同参画」という用語を用いることによ り男女間の差別や不平等を是正するという視点が忘れ去られてしまう結果となってしまっている。「男 女共同参画」は、“男女の権力構造を維持したまま、平等は実現したとして女性の労働力を利用する”(牟田和恵)ものであり、真の意味での公平性=Equityの実現から巧みに視点をそらす働きをしている。著者が指摘するように、日本の大学において改革のスピードを速めるためには、“政策の実施を待つだけでなく、大学また構成員である女性自身の活動が重要”であり、こうした活動を組織化することのできる女性リーダーの育成が必要であろう。

(兵庫大学 古 田 薫 評)

[東信堂 A5判 288頁 定価4212円]

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