【書評】水月昭道著『子どもの道くさ』

子どもの道くさ

(四六、88頁、700円+税)

毎日新聞  2020年10月6日 くらしナビ―ライフスタイル― 15頁

「子どもの道草」研究本14年経て光

突然ですが、皆さんは小学生のとき、どんな道草をしましたか?私はツツジの花の蜜を吸ったり、知らない家の犬と遊んだり・・・。帰宅したら「なんでこんなに遅いの!」としかられたなあ。そんな記憶をよみがえらせてくれる道草についての研究本がこのほど復刊したと耳にした。14年前に出版され、一度は絶版となったが、読者からのリクエストが相次いだため復刊を果たしたという。そのきっかけは、あるツイートだった。

発育への影響を考察

この本のタイトルは「子どもの道くさ」。2006年、学術書などを手がける東信堂(東京都文京区)から出版された。著者は立命館大学客員教授で僧侶の水月昭道(みづき・しょうどう)さん(53)。水月さんの専門は、人の発達を促す環境について研究する人間環境学。「子どもの道くさ」は福岡県内の小学校を対象にして、子どもたちの60種の下校ルートをフィールドワークした内容をまとめたものだ。

 この「子どもの道くさ」は、新潟県柏崎市に事務所を置く「日本居住福祉学会」が「住むこと」の意義を研究調査した「居住福祉ブックレット」というシリーズの一冊になっている。

 小学生の下校途中の道草について、「反応型」「注目型」「発見型」「規則型」など九つのタイプに分けて分析。例えば反応型とは、子どもたちの前に広がる景色の中で、落ちている石を蹴ったり、草花を見つけて触ったりする行動を指す。著者の水月さんに話を聞くと、「子どもたちは、暑い日は涼しい地下道を通ったり、ミカンの木がある家で実をもぎ取ったりして、下校コースを変えています。頭の中には、気候や季節、気分に合わせて選択するオリジナルの地図が描かれているのです。こういった発想や行動が健康な発育、情操教育に大きく影響しています。そのことを伝えたかったのです」。

 出版当時の初版は1000部。だがタイミングが悪いことに、栃木県では下校途中に子どもが殺される事件が発生し、登下校の安全対策が大きな社会問題となっていた。水月さんのところには「子どもに道草をさせて危険な目に合わせるつもりなのか」「道草研究が何の役に立つのか」といった批判が寄せられたという。水月さんは「どういう具合に安全配慮すればよいか、などのアイデアも記しているのですが・・・」と今でも困惑気味だ。売れ行きは芳しくなく、重版はされず、絶版状態になった。

●ネットで拡散が契機

 それから14年後。今年の7月、ある男性が「子どもの道くさ」の中古本を何らかの形で偶然手に取り、感想をツイートした。

〈子どもの通学路についてフィールドワーク研究した学者の本を読んでるんだけど、子どもが全然ちゃんと帰らなくて良い〉

 男性はツイートに、下校中の子どもたちが植え込みに手を入れたり、壁によじ登ったりしている本の写真を添えた。

 すると、このツイートが拡散された。

〈防水の手袋をいいことに凍った水溜まりから鋭い氷を拾って友達同士で斬りあう。自分の幼少期の話です。共感できるかたはいらっしゃいますかね?〉

〈虫食べる男子もいたなぁ。蟻とか。そして喉が渇いたら公園の蛇口で水分補給!今じゃありえないんだろうな。でも本当に楽しかったな〉

 この「バズった」状態に、水月さんも気づき、さっそくこんなリプライ(反応)をした。ちなみに「ニャ」は、昨年死んだ愛猫への思いからだとか。

〈よいお話をありがとうございニャス!〉

〈田舎での道草が減っていて問題と思っています!ニャ。少子化および学校の統廃合で恐ろしく通学範囲が広くなっていて、スクールバスでドア・トウ・ドアの状況ニャンですよ・・・〉

●要望高まり復刻決定

 その後も反響は続き、リツイートは約2万5000、「いいね」は12万を超えた。

 水月さんのツイッターアカウントには「(本を)読みたいのですが、どこで手に入るのですか」という声が次々と寄せられた。

 だが、水月さんの手元には在庫はない。大型書店でも置いておらず、ようやくアマゾンで見つけたが中古価格は10万円以上で、なかにはなんと30万円を超えるものもあった。「初版は700円だったのに・・・」

 水月さんは出版元の「東信堂」に相談。だが既に、出版依頼がどんどん来ていた。東信堂の動きは早かった。男性が初日に投稿した翌日、こうツイートした。

〈定価でご購入できるよう、手続きを進めておりますので、もう少々お待ちください〉

「ずいぶん前の出版だったので、正直とても驚きました。こういう形で再販が決まるのは、とてもレアなケースだと思いますよ」。そう振り返るのは、東信堂の下田勝司社長だ。

コロナ禍が背景か

 今、これほど注目を集めたのはなぜだろうか。ノスタルジーに浸れる、という側面は大きいだろう。水月さんは「すっかり忘れていた道草の記憶がよみがえり、楽しい思い出や懐かしさに浸っている書き込みが多く見られました。すっかり凝り固まってしまった『大人の脳』がちょうどいい具合に解凍されたのかもしれませんね」。

 さらにもうひとつ、水月さんはコロナ禍の現状を背景に挙げる。

「外出自粛、リモートワークが求められ、窮屈な生活に心身ともに疲労している人たちが多い。そこで通常ならば役に立たないようなものの価値に気づく、というケースがあるのかもしれません。子どもたちの道草も、自由な発想で行動するところに何か意義を感じたのではないでしょうか」

「道くさ」はその後、再販が正式に決定。8月中旬から、アマゾンで販売が始まり、今は全国の各書店でも申し込みすれば入手できる。売れ行きは好調で、感想を書き込むツイートが相次いでいる。静かな「道草ブーム」が生まれるかもしれない。

【生野由佳】

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