【書評】田中義岳著『地域のガバナンスと自治―平等参加・伝統主義をめぐる宝塚市市民活動の葛藤』

 

『地域のガバナンスと自治―平等参加・伝統主義をめぐる宝塚市市民活動の葛藤』(コミュニティ政策叢書)

(A5、288頁、3400+税)

コミュニティ政策18 田中逸郎(NPO政策研究所理事、豊中市前副市長)より

 著者は宝塚市において10数年間、先頭に立ってコミュニティ政策を企画立案し、推進調整に取り組んだ行政担当者であり、自治体コミュニティ政策のトップランナーとして全国で知られている(その取組み内容は『市民自治のコミュニティをつくろう』(ぎょうせい、2003年)に詳しい)。本書では、地域社会の歴史的構造に踏み込みながら、「宝塚市まちづくり協議会」の取組みを自ら振り返るとともに、その後の市の取組みの変遷を追跡調査し、再構築への理念と道筋を考察している。

 当叢書シリーズは「コミュニティ政策に関する実践的理論的論議をさらに活性化させる機縁となる」(2013年「コミュニティ叢書趣意書」)ことをめざして刊行されているが、本書はこの趣旨をまさに具現化した構成と内容となっている。自治大関係者のみならず、コミュニティにかかる研究者・実践者への確かな道標となるだろう。

 本書のねらい

 冒頭のはしがきにおいて、「本書は、宝塚市でのコミュニティの盛衰を扱ったもの」で、その経過をつぶさに体感してきた筆者は「ガバナンスを巡る宝塚市民の葛藤などを自らの手で学術的論考にすることに大きな意義がある」とし、執筆を決意したと記している。

 その決意に至った直接的な要因は、10数年の取組みで築き上げた「まちづくり協議会」が、市長交代によってないがしろにされていったことにある。「まちづくり協議会政策を封じ込めようとする政策展開」により、「自治会連合会とまちづくり協議会との間の、伝統・近代の協調をめぐる相克・止揚の葛藤が長く目の当たりに展開された」としている。この、全国に先駆けて取り組まれた「宝塚方式」の初動期から成長期を担い、そして発展期へと歩みを進める時期に退職を迎えた若者にとっては、その後の歩み(後退もしくはダッチロールというべきか)に居ても立っても居られない気持ち、痛切な痛みを感じていることが行間からにじみ出ている。

 この「まちづくり協議会」をめぐる葛藤が執筆のまず一番の要因だが、著者はそれを政権交代という政治的事由にすべて帰すことに留まってはいない。痛切な痛みを感じたからこそ、著者は「日本の歴史的地域構造や近代化の分析・考察」に取り組み、「コミュニティとデモクラシーや伝統主義と近代主義の考察から、核心となる地域の平等参加への道筋と、地域自治やコミュニティ構造のガバナンス論考」へと歩みを進めている。

 本書刊行の意義は、「宝塚方式」の内容・変遷・葛藤を知ることに留まらず、いわゆる伝統主義と近代主義との相克・止揚、そしてめざすべき方向を考察しているところにある。

 本書の構成と内容

 本書は、総論である序章に続いて4章で構成されている。順次、その内容を紹介する。

 序章は「コミュニティ自治と権力構造論の考え方」。最初に「進展と急転縮小の25年」との見出しのもと、宝塚市の地域政策の推移をまとめている。新住民の流入による変化をとらえ「全住民に新しい形でのコミュニティづくりを呼びかけた」のが、小学校区でのまちづくり協議会政策である。それが15年後、新市長により、政策転換がなされた結果、自治会連合会とまちづくり協議会との対立が浮上、混迷期の様相があらわに。さらには自治会連合会が内部分裂する結果を招き、ついには市長と市議会による「住民自治組織調査委員会」を立ち上げる事態となったことを紹介している。

 そこから筆者は考察を開始する。「地域自治会を中核に、ボランティア組織など住民が水平参加する政策」に、従来からの「上位垂直性を強く主張する」自治会連合がなぜ再登場したのか。「複雑な権力構造の中で、絡み合い、もがき合っている状態が宝塚では見られた」ことから、まずハンターのコミュニティ権力構造論とその後の論争から考える。

 1950年代のアトランタ市の事例から、筆者は何を導き出そうとしているのか。評者なりに要約すると「デモクラシーのとりでとして、人々を強大な権力から守り抜いてきた自律的なコミュニティ」が硬直化し、「一握りのボスたちの手にからめとられてしまった」事例を掲げることで、つまり権力エリート論と多元主義論の対立とその推移を追跡することから、さて宝塚市では、ひいては日本ではどうなのかを各章にわたって俯瞰的に考察しようという意図だと思われる。

 次節では「日本の地域伝統と民主主義の潮流」と題し、「わが国の地域と権力構造の課題には、歴史的な伝統主義をよく把握した上で、近代民主主義をいかに現実論として展開できるか」という論考が重要だとし、いよいよ地域自治の論考へと向かう。地域自治は、公選による二元代表制に象徴される「国民主権や基本的人権にある自由平等=近代理念に育まれれる近代主義」の一方で、「米づくりとともにあった中世=村落共同体の発展と継承」とその後の歩み、これを抜きにしては語れない。地域自治は、近代主義と「歴史的に統治権力と上下関係受忍や相互依存により、主体的機能を獲得してきた村落共同体の伝統主義」という二項の「相克と融合の課題」であり、それは宝塚市だけの問題ではなく、「日本人にとっては歴史的な課題」と提起。このように論点と分析の視点を提示し、序章は終わる。

 第1章は「地域の歴史的構造と自治課題」。その内容は大きく二つに分かれている。

 最初は、第1節「ムラの自治と自治課題」。いくつかの先行研究を引用しながら、日本の伝統的地域構造は、中世室町時代の自治的惣村=村落(ムラ)の形成にあるとし、数々の動乱を経て村落自治が展開されたと述べる。それが近世においては、太閤検地と刀狩りに象徴される幕藩体制の構築により、德川政権時代には「石高制と村請制の原理」が確立。「領主はその維持のために農民を頼らざるを得ず、農民は領主の公共事業に依存せざるを得ないにしろ、自律的な側面を崩さず、多くの一揆の事実を含め、領主とのせめぎあう姿勢を貫いた」と指摘。そして筆者は、鈴木榮太郎の『日本農村社会学原理』(未来社、1968年)にある農村社会の三層構造(第一社会地区=小字や組、第二社会地区=大字や部落、第三社会地区=今日の町村と同様の行政上の地域)に触れ、自治・自立の伝統や文化はこの第二社会地区の存在にあるという知見に深く共鳴し、そこからコミュニティの範域を第2・3章での考察につなげていく。

 次いで、1889年の町村制施行以降の歩みから「ムラの変遷と地域自治会の形成」を辿っていく。ムラの自治が大きく変貌するなか地域自治会が成立していくプロセスや論考については、筆者自身が謝辞を述べているように、鳥越皓之の『家と村の社会学』(世界思潮社、1993年)、『地域自治会の研究』(ミネルヴァ書房、1994年)に負うところが多い。その後の変遷や戦時下における大政翼賛会の下部組織化、GHQによる解散そして復活等については周知の事実だが、「統治体制や行政の都合により、一時的に縮小が繰り返され得たとしても、引き継いできた民の自治」は、権力との相互依存とせめぎあいのもと続いていると述べる。

 二つ目が、第2節「都市化と地域自治の歴史的構造」。戦後の社会活動を俯瞰し、戦後50年と直近の約25年を分けて論じる視点を提起している。戦後50年については、新憲法に象徴される民主主義の価値を「体現し始めるまでに要した年月」であり、この間の種々の社会活動が「新しい近代への土台となるエネルギー塊(内在マグマ)」を醸成。そのエネルギーが発露し、1995年(ボランティア元年)からの市民活動や地方分権の進展、新しい地域自治活動など、それまでとは違う直近25年の社会活動が始まったとしている。

 これらにかかる各種事例の分析については割愛するが、次いで述べられている「都市化の発展と住民意識の変化」の項については、本書のポイントの一つであろう。いわゆるムラというよう胴体に対し、地縁・血縁のない者同士で構成される都市においては、社会契約的な結びつきが必要となる。筆者は、1980年代から全国各地で展開され始めた「まちづくり活動」は社会契約的な活動(アソシエーション)ではあるが、「新しいコミュニティづくり」を志向する(志向せざるを得ない)構造があるとする。これらのまちづくり活動やテーマ型といわれるNPO活動も、それらが地域づくりをめざすものであろうとなかろうと、旧来からの自治会・町内会と同じ基盤(共同生活空間)で展開されるからである。このことは、筆者がコミュニティづくりのジレンマを、そして、そこに立脚して新たな可能性を見出そうとするポイントとなっているのではないか。

 次いで「落差ある地方自治と展望への道筋」と題し、自治体の政策や脆弱な住民自治・団体自治について分析。住民自治の充実・発展により団体自治が生かされるという道筋がポイントと指摘。また「自立した市民といっても、何の純拠点もない住民というものは存在しない」とする中田実『地域分権時代の町内会・自治会』(自治体研究社、2007年)から、社会的契約が成り立つためには非契約的なものとの相互理解が必要であり、「それなりの試行錯誤の時間(歴史)を要する」ことを引用。伝統主義と近代主義の相克・止揚のポイントとして掲げている。

 第2章は「宝塚市コミュニティ政策の変遷」。詳細なデータと参与観察を含む宝塚市地域政策の報告と分析である(その構成を紹介する)。

・第1節:宝塚の地域史と自治会(宝塚の地域史/自治会連合会とコミュニティ権力構造/自治会連合会のピラミッド構造)

・第2節:宝塚市まちづくり協議会政策の進展(1993年~2007年)(コミュニティ政策を掲げる市町の登場/段階的水平性を目指すまちづくり協議会/3層構造とブロック別「地域創造会議」/まちづくり基本条例・市民参画条例/まちづくり計画(2002~2007年)/権力構造と民主的政策の噛み合わせ/関連資料)

・第3節:市長交代と復古政策、混乱・激論8年(2006年以降)(自治会連合会の上位意識―まちづくり計画形成の進展とともに/C市長のまちづくり協議会政策封じ手2007年~/住民自治軽視のD市長登場と自治会連合会分裂)

・まとめ:地域再連携模索とローカルガバナンスへの道筋

 まずもって、これだけ丹念に情報を集め、追跡調査した筆者の努力に頭が下がる。政策立案と遂行に関わった当事者ならではの想いが原動力となったのだろう。宝塚方式の意義と変遷、葛藤の貴重な記録であり、宝塚市のステークホルダーはこれを真摯に受け止め、地域再連携に取り組んでいきたいと切に願う。

 この「宝塚方式」の特徴をまとめると、次のとおりである。地方の時代を先取りし取組まれた「まちづくり協議会」政策は、それまでの共同体を全面否定するものではなく、段階的に「自発的に喚起する平等参加」をめざしていたこと。そのため、地域自治会を核にボランティアなどの参加枠組みを作ったこと。さらに、まちづくり協議会と自治会連合会をコアとする検討会議を設け、地域の「まちづくり計画」を策定したこと。そして、それを市の総合計画とリンクする仕組みを用意していたことなどである。住民自治(まちづくり計画)を団体自治(総合計画)にリンクさせる段階にまで到達したこの時期に、新市長による政策転換が行われたのである。

 その後のダッチロールと葛藤については、種々の当事者・関係者の聞き取りも含め、時系列にまとめられている。これらがもたらした政治・行政不信は、大きな負の遺産といえる。まちづくり協議会活動に尽力した市民の思い。内部分裂を招くこととなった自治会連合会役員のとまどいや翻弄された住民。その後の市長交代や人事異動も含めた政策変更に混乱する行政職員。政策作りに協力した学識経験者。結果的にはすべての関係者がはしごを外されたのである。最後に、これらの混乱の末、2015年に市長と市議会が「住民自治組織の調査専門委員会」を設置したことにふれ、筆者はそこから地域再連携の取組みが始まることを願い、116頁にも及ぶこの章を終えている。

 第3章は「地域を統治するのは誰か」。この章では宝塚市の混乱が契機となって、地域自治や住民自治をめぐっての「広く深い議論が展開された」ことをもとに、今後の展望について考察している。

 西欧的なるものを日本的なものに取り入れてきた歴史がある日本では、住民自治政策においても「伝統性と近代性の総合的な協調や融合」は可能なはず。それには「ゆるやかで段階的な改革が適切」とする。そして、自治会やまちづくり協議会との連携・協調、また、社会福祉協議会や行政(団体自治)との協働の可能性やポイントについて、「3層」プラットホーム(1層は単位自治会、2層はまちづくり協議会、3層は7つのブロックエリア)」という枠組みを提示して考察している。

 次節では、葛藤・混乱の末立ち上げられた調査専門委員による報告書「住民自治組織のあり方」について、筆者は次の3点が特徴と提示している。

・今後はまちづくり協議会を地域連携の窓口として一本化すべき。ただし、組織等の基本的規定を条例などで定める必要があるという指摘

・自治会連合会の役割も大きいが、本来は自治会間の協議・連携のためのネットワーク型の組織であるべきだが、現状はピラミット型であるが故の「トップへの権力集中、上下関係意識、行政事務委託をめぐる弊害」等があるという指摘

・地域(単位)自治会への言及・評価はあいまいだが、自治会自体の将来性を否定的にとらえられていると思われること

 報告書が総じて「自治会およびその連合会を肯定的にとらえず、まちづくり協議会だけを総合的に肯定的にとらえている」ことに着目し、筆者は共通する認識や賛同できる指摘があると一定の評価をしつつも、しかし問題をはらんでいる、と次の指摘をしている。

・報告者が、自治会は将来的には有効でなくなるとし、唯一まちづくり協議会を肯定的にとらえていること

・まちづくり協議会の中核は自治会であり、今後とも有効性見込まれるのではないか

・自治会連合会には種々の課題があるが、それを克服し、まちづくり協議会のパートナーとして地域連携を目指す運営を図るべき(その機運は現に見られている)

 つまり、まちづくり協議会のみを肯定的にとらえるのは現実的ではない、かえって混乱を再燃させるのではないかとの見解である。かつて政策担当当事者だったが故の懸念であろう。そして、当事者だった経験から、まちづくり協議会のさらなる周知や自治会連合会との相互連携の取組みには、引き続き行政支援が必要であるとする。さらに、住民参加を基調とする行政力の強化、「相互協議と理解のための地域の民主的討議の場づくり」が必要と提起し、この章を終わる。

 第4章は「都市圏、多元主体参加の自立型権力構造」。内閣府・国民意識調査などをもとに、「新旧地域に限らず、身近な課題を積極的にとらえ、役に立とうという人は確実に存在している」。実際には、「最初の呼びかけに人口の約1~2%だけが呼応する。そしてこの人たちがコアとなって、さらに市民レベルで呼びかけると、その2~3倍の人たちの前向き参加へとつながる」。そういう現れ方をすると、宝塚市での経験を語る。その成功事例として「中山台コミュニティ」を紹介。自治会協議会(単位自治会のあつまり)とまちづくり協議会との連合組織としてスタート(1991年)し、2002年には一本化された活動は、参加者数・参加密度、活動内容とも成功例・モデルとして全国的にも名高い。

 その活動事例から、改めて「コミュニティの範域と3層の構造」(1層:自治会や個別のボランティア活動や団体、2層:まちづくり協議会、3層:3~4万人エリア・ブロック)を提示し、それぞれの役割、社会福祉協議会や行政との連携・協働のあり方などに言及している。そして、この3層構造の位置づけや役割などの共通理解がなかった(共通認識を醸成することができなかった)ことが混乱や葛藤を招いたのではないか、とする。

 的確な指摘であろう。この3層で構成される「住民参加の地域自治システム」があってこそ、「地域自治会を中核に、ボランティア組織など住民が水平参加する」コミュニティづくりが進む。そして二元代表制で構成されている団体自治体との協働が成り立ち、有効に機能する。組織率、加入率が低下傾向にある自治会を(いずれ滅びゆくものとして)切り捨てては地域コミュニティは成り立たないだろう。その意味からも、自治会や連合会の体質改善は喫緊の課題である。何よりも、まちづくり協議会が束ねる小学校区エリアの地域コミュニティの役割や機能についての相互理解・共通認識を深める必要がある。かつての混乱や分裂を繰り返さないために。さらにまちづくり計画をまとめた「3層:3~4万人エリア・ブロック」の再構築、すなわちブロック会議の今後のあり方や団体自治側の理解と位置づけが問われている。市議会の役割や補完関係のあり方も含め「地域別まちづくり計画の再興と総合計画都のリンク(協働)」のために。

 これらはすべて「相互協議と理解のための地域の民主的討議の場づくり」(第3章)そのものといえるだろう。

 おわりに

 本書が取り組んだ「宝塚方式」の詳細な分析と課題の抽出、そして再構築の道筋を提起したことに、敬意を表したい。「宝塚市まちづくり協議会」の姿が改めて浮き彫りになった。筆者はあとがきにおいて「まちづくり計画の総合計画リンクや、平等参加の政策は、やや時期尚早の部分もあったとみるべきだろう」と述べている。そのとおりかもしれないが、いささか謙虚すぎるとも思う。取組まれたコミュニティの制度化政策は今、それぞれの地域特性によって異なるとはいえ、全国に確実に広がっているのだから。

 やや余談になるかもしれないが、評者は宝塚市の近郊にある自治体職員だったこともあり、宝塚市の地域政策を常に注目してきた。その取組みの成果や課題から多くのことを学んだ。行政が呼びかけ市民がつくる仕組みづくりにおいては、政策形成段階からの住民参加を心掛けた。これは、いわゆる官制コミュニティ・権力統治の一方的な再編成の仕組みとならないようにすることだったが、それ以上に、このプロセスから「新しい地域自治・住民自治」が生まれてくることを強く望んでいたからである。そう、一言でいえば、後発部隊の有利さを生かした取組みを進めることができたのである。学んだことは本当に多い。

 また本書では、著者自身の経験から、コミュニティの制度化にあたっては「段階的にそれが発展する堅実な姿勢が基本」と警鐘を鳴らしている。これも貴重な提言だろう。多くの自治体が地域自治組織といった包括システムの構築を志向している今日、そのためには、住民主導で民主的で開かれた場に地域に並存している諸団体が参画して取り組むことができるかどうかがポイントとなる。地域で活動している住民は様々な価値観を持ち異なる組織に属している。活動目的もニーズも追求する利益や関心も違う。こうした互いのミッションや関心の相違を知り、それぞれの主体性を尊重しつつ関係を調整するには時間がかかる。長い積み重ねがその姿である。それでいいのだと思う。拙速な取組みは、結果的にうまくいかないだろう。

 最後にひとつ。これは書評ではなく、評者の個人的な感慨であるが、本書は「地域社会の側から自治や公共性の新たな理論を紡ぎだそう」と努力し、もがいた男の物語ではないか。何度も読み返すうちに、そう思うようになった。同時に、いくつかの顔も浮かんできた。自治会連合会とまちづくり協議会とどちらが上だ、声を荒げて担当者に迫っていた人。中山台コミュニティを支えてきた優れたリーダー。……しかし、市井の人々、とりわけ地域の暮らしや活動を担ってきたであろう多くの女性たちの姿が見えてこない。しかしそのためには、男の物語とは別の、もう一つのドキュメンタリー(聞き取り)が必要だろう。それは、コミュニティを考察するうえで大切なことではないか。次回も込めた感想である。

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