【書評】鳥越皓之編『原発災害と地元コミュニティ―福島県川内村奮闘記』

【書評】鳥越皓之編『原発災害と地元コミュニティ―福島県川内村奮闘記』

(A5・376頁・¥3600+税)

コミュニティ政策学会 コミュニティ政策17 2019年

 

 

金谷信子(広島市立大学国際学部教授)より

 

 あの日からの福島は、いわばブラック・ボックスだ。3 ・11東日本大震災の発災直後、福島原発は安全と宣言されたにも関わらず、大爆発が起き、放射能汚染が広がり、地元住民は避難を強いられた。時間の経過と共に、周辺地域の住民が放射線の被害に怯え、さらに地元住民が被爆に対する偏見や差別また風評被害にも苦しんでいるという報道は多々あったが、外部にいると、放射能汚染の危険性に対する見解がちぐはぐに伝えられ、真実が何なのか分からないままで復興応援ソングだけが聞こえてくる。そのもどかしさが8 年目となる時に、本書を読む機会を得た。

 本書はこの福島原発事故により翻弄された地元の一つ川内村において、震災と原発事故が一人ひとりの生を無慈悲に揺るがしてきた日々と苦しみ・無念・諦め・希望を語る肉声で留めた貴重な記録である。

 登場するのは、川内村の役場総務課長、要介護の夫と妻、商店経営の三世代家族、一人暮らしの高齢女性、役場福祉課係長、その実母と義母、入院中の夫を支える妻、子どものいる三世代家族、幼児のいる夫婦、20代の若者、農業者、集落のリーダー、村長など。それぞれに夫・妻・子供・親がいて、生業や役割がある。震災前の川内村は農業従事者が多く、畜産も営まれていた。周辺の山々は山菜やキノコをもたらしてくれた。プロフィールからうかがえるように、高齢化が進んだ地域であるが三世代同居や親族が近居する例も多く、また近隣の町の会社で働く者も少なくない。子世代が遠い都会に住む家族も多い。伝統的な地方の集落と近代社会が交錯した、現代日本の農村コミュニティといえよう。こうした川内村の歴史を丁寧に掘り起こし、その延長線上にあった2011年3 月までの営みとコミュニティが、自然災害と人災により引き裂かれていった
過程と復興の過程が、住民の目線で描かれている。

 原発事故の地元コミュニティの住民の生の声を集めた本書には様々な意義があるといえる。

 第一は、被災地外には見えてこなかった福島原発事故に関する情報を、克明に記録し残した功績である。冒頭で述べたとおり、福島原発事故が発災し当初は原発事故の規模や影響の情報が二転三転し、さらに放射線被害に関する情報も錯綜していた。原発事故の被害も、残留放射線の影響が科学的に解明できない状態で不安だけが傓られ、一方で原発事故の責任問題も原子力政策も不透明なままで、議論そのものがアンタッチャブルとされてきたように見える。結果的に何の落ち度もない地元住民に苦難と負担だけが残されている。

 本書はこの福島原発事故の地元コミュニティで、災害直後から隣町からの避難者受け入れに奔走した人、自分の村の住民を避難させるために死を覚悟で奮闘した人、劣悪な避難所の中で体調を崩した家族を失った人、都会の親族宅に避難し馴染めず戻った人、農地の汚染と闘い農業を続けようとする人、仕事が無くなり帰還をあきらめた人、ここでの子育てを決意した人、様々な立場の人々の経験が彼らの言葉で綴られている。外部には見えてこなかった福島原発事故が、いかに住民を翻弄し続け、断絶を生み、時には命を奪ってきたのか、その苦難の一端が明らかにされたことは、原発事故の実態を知り、まだまだ必要な対策を考える上で貴重な教訓を提供してくれた。

 第二は、原発事故の被災者のライフストーリーを残すことは、原発そのもの意義や今後の災害対策を考える上で、非常に有益な成果を残したという功績である。編者によると、阪神淡路大震災以前、地域コミュニティの研究者は長く災害を関心外としてきた。ただ阪神淡路大震災後の記録である『震災と社会』(外岡秀俊、朝日新聞社、1996年)によると、そもそも災害の記録は、為政者側の対策の記録が中心であり、住民の声はほとんど残されていない。そのことが稀にしか経験しない災害対策がうまく機能しない原因なのではないかと指摘している。

 近年では災害復興、防災・減災に関する研究が増え、行政関係の報告書も多数出されており、被災者の経験や声も織り込まれてはいるが、災害が人間の生活や命を脅かし破壊させたのか、苦難の道程が間接的にしか見えないことが多い。こうした点で、福島原発事故の地元・川内村のコミュニティの住民のライフストーリーを生に近い形で残したことには、大きな意義があると考える。

 付け加えると自身の経験もある。勤務先・広島に赴任して、戦後70年を経ても原爆の惨禍と教訓を伝える活動が継続され、市民の意識に影響していることを知った。当地には平和教育として「被爆の実相を知る」ために、被曝者のライフストーリーを収集する長年の努力の集積があり、今日でもこうしたニュースに日常的に接することに驚いた記憶がある。一方で阪神淡路大震災を経験した際に、未曾有といわれた大震災の被災者・被災地の苦難や悲嘆そして教訓が、復興し整備された街に溶けていくもどかしさを感じていた。このため、被災者一人ひとりの声が、惨禍の教訓を未来につなぐ原動力のひとつになるものと信じている。

 第三は、近代的な農村型コミュニティの実像を詳細に記録し残した功績である。生産活動を通じた共同作業があり、ローカル・ルールが機能しており、都市部にはほとんど見られないような細やかな人々の交流や支えあいが続いてきた川内村のコミュニティの描写からは、農村型コミュニティの特性が垣間見られた。また、人口減少の流れの中で、生まれ育った地で暮らし続けることを選んだ人々は、伝統的な人付き合いを是とする人々であり、そこではより密度の濃いコミュニティが形成されてきたのではないかと想像した。

 一方でその姿は過去の農村コミュニティとは同一ではなく、家族の生業が農業以外の仕事に変化し、住居が分散し、人々の気持ちも利害も多様化し拡散していくなかで、各々の価値観も行動も多様化し、帰還する人、帰還しない人、復興事業に取り組む人、あきらめる人と、様々な行動の差異が生まれたことが描かれている。決して一枚岩ではない現代的な農村コミュニティの多様性を切り取り、一断面を鮮やかに描き出したことも本書の大きな貢献だと考える。

 

 最後に述べたいことは、本書の意図とは逸れるかもしれないが、ここから立ち上ってくるのは、現代社会の「自己責任」論の無慈悲さだ。

 川内村のコミュニティでは、残留放射能を恐れて農作物や山の恵みを子や孫に送ったり、近隣でおすそ分けしたりすることが出来なくなり、人間関係が疎遠になったという。また帰還する人、帰還しない人の価値観を巡り対立が生まれ、補償の有無を巡って疑心暗鬼が生まれたという。予定していた生業が奪われ、生活苦に陥る。しかし災害復興の名の下で行われていることは、自己判断で新しい生活の道を選ばせ、その結果については自己責任と突き放すだけのようだ。

 農村から運ばれた地の恵みを日々の糧として、原発の地元コミュニティの危険を代償に得た電力の恩恵を享受してきた点で都市部の人間も農村につながっているはずだ。それにも関わらず、結果的に、原発事故という人災が打ち壊した農村コミュニティにおける惨禍の負担は、何の罪もない地元住民だけに押し付けられているのではないか-自身を含めた社会の無責任とご都合主義を痛感した。

 編者によると地域コミュニティの研究者は長く災害を関心外としてきたが、阪神・淡路大震災以降、地域コミュニティと災害を論じる研究成果が増えている。そこで主に指摘されることは、災害時の救援・復興におけるコミュニティの重要性だ。また災害のみでなく、地域に対する愛着こそがコミュニティを活性化する原動力になるという言説は、今日では専門家にも政策担当者にも広く共有されている。評者もこうした見方に同意する一人だ。本書には、合理性だけでは判断できない住まいや地域に対する愛着を持つ人々が少なからずいて、地域のために奮闘する住民が多くいることが示されている。それにも関わらず、人為的災害により大打撃を受けたコミュニティの側から見た政府の対応は、あまりにも冷酷である。

 冒頭で編者は、被災した人々の中には、津波や放射能汚染の危険の可能性があっても、元々住んでいた場所に戻りたいという「深い決意」があることに触れ、その意味を問いかけている。ここでまず私が想起したのは「家は物質ではなく、命そのものだ」という、前掲『震災と社会』の一節だった。いわく、家は他人にとっては住む場所でありモノで、無くなれば代替物があれば良いと思われがちだが、当事者にとってみれば人生が詰まった場所で、家具にも生活用品にも思い出や愛着がある。それが一気に失われるのは、命の一部を失うような喪失感に見舞われるという。

 自宅も近隣も親戚も仲間も、商店も道路も風景も、馴染んだ世界が意識しないうちに自分の人格を形成していると考えるなら、川内村のコミュニティは大きな家のようなものであり、川内村に長年暮らし続けた人々にとって、命と同じ価値を持っていたのではないか、と想像した。それにも関わらず、原発事故という人災がそれを突然に破壊したのである。こう考えるなら、賛否両論ある中でコミュニティを守るべく帰村宣言をした村長も、危険と隣り合わせでも、元の住処を離れがたく思う住民が多数いることは、不思議ではない。ただこう
した非合理的に見える行動が持つ意味を共有できない、被災地内と被災地外の溝の深さを改めて感じた。

 地域柄、福島の原発事故に関心を寄せ行動する人たちが多く、直接間接に様々な話を聞く機会があったなかで、特に胸に突き刺さったのは「放射能汚染に対する考え方で被災地の住民が分断されてしまった」「10代の女の子たちが将来子供を産めないと心配している」「福島は消費されている」「国の関係者は放射能汚染地に来ない」という言葉だった。本書を読んで、川内村の住民の姿と彼らの姿が二重写しになって見えた。

 2018年11月時点で川内村に帰還した住民は8 割の約2200人(川内村HP参照)。多くは50歳以上で、子供の多くは帰っていないという。8 割が帰還したと見るか、短期間に2 割が他出したと見るか。立場により解釈は異なるだろう。

 他方で本書は、これだけの大きな災害に見舞われても、生き延びて立ち上がろうとする人々がいて、彼らを取り巻くコミュニティには持続的なたくましさがあることを提示している。そう考えるなら、苦難の中に一筋の光をもたらすような記憶の記録である。地域コミュニティの研究者・関係者のみでなく、未来を考える立場にあるあらゆる人たちにも一読を勧めたい。

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