【書評】渡辺雅子著『韓国立正佼成会の布教と受容』

渡辺雅子著『韓国立正佼成会の布教と受容』

(A5、ⅻ+352頁、3700円+税)

『宗教と社会』第26号 「宗教と社会」学会 2020 pp.90-93

李 賢京 より

 

1.はじめに

本書は、著者である渡辺氏が韓国立正佼成会(韓国法人名は「在家仏教韓国立正佼成会」、以下「韓国佼成会」と記す)を対象に、2004年から2018年までの約15年間という長期にわたる調査期間で得られた知見をまとめたものである。韓国佼成会の信者世帯数は3000世帯を超え、立正佼成会(以下、「佼成会」と記す)の海外拠点の中では極めて優等生である(306頁)。本書では、タイトルに示されているように、優等生と評価される韓国佼成会において「布教」する側の在日コリアンと「受容」する側の韓国人の両方の視点に立ち、日本をルーツとする宗教の布教展開と、韓国人の受容過程を考察している。

 

著者は、2001年に『ブラジル日系新宗教の展開―異文化布教の課題と実践』(東信堂)において、大本、金光教、立正佼成会、世界救世教、創価学会、霊友会、稲荷会を対象とし、受容が日系エスニック・グループ内にとどまったものと、グループを超えて非日系人の間にも広く浸透していったものを比較し、布教展開における差異の要因について考察した。本書はその韓国版といえ、佼成会に焦点を当てたものである。2001年刊行本において、渡辺氏は、異文化布教における日系新宗教を、親子型―中央集権型である組織形態の軸と、教師中心参詣型―信徒中心万人布教者型である布教形態の軸で分類し、非日系人に拡大した新宗教は、すべて「信徒中心万人布教型」であることを明らかにした(渡辺2001:6-7頁)。しかしながら本書で扱う韓国佼成会の場合、道場当番、命日参拝、行事参拝が主な宗教実践になっているため、教師中心ではないが、「参詣型」に近いとしており(305頁)、2001年刊行本での知見との比較から、布教先によって布教形態の差が生じているとこが見受けられる。

以下では、本書の構成と概要を示した後、本書の意義を述べ、その上でコメントする。

 

 

2.本書の構成と概要

2-1 本書の構成

本書の目次を以下に示す。

 

はしがき

第一章 韓国における立正佼成会の展開過程―日本宗教であることの困難と在日コリアンによる現地韓国人布教

第二章 韓国立正佼成会にみる日本的要素の持続と変容―現地化への取り組み

第三章 支部組織の転機と三支部制初代韓国人支部長の信仰受容の諸相―教会道場のリノベーションが与えた影響に着目して

第四章 韓国人幹部信者の信仰受容と自己形成

第五章 在日コリアン二世の女性教会長のライフヒストリー―李福順の人生の軌跡と布教者・信仰者としての自己形成

むすび

あとがき/参考文献

立正佼成会布教史年表

 

2-2 各章の概要

以下では、各章の要約を示す。

 

第一章では、布教当初から著者が調査を開始した2004年までを中心に、韓国における佼成会の展開過程を示している。日本人による韓国での布教活動において、反日感情に起因する布教現場での困難や日本から派遣された教会長のビザ取得問題などの困難が生じた。そのため、在日コリアンの李福順氏(母、1936-2015年、元教会長)と李幸子氏(娘、1958年生まれ、現教会長)が韓国佼成会の布教を担った。韓国での布教に際して、佼成会が日本をルーツに持つ宗教であることによって生じるハンディに対し、布教資源としての在日コリアンの役割について論じている。

 

第二章では、日本をルーツとする佼成会の教えを韓国に布教するにおいて、日本的要素の持続と変容について述べている。教えの根幹は基本的に保持する一方で、日本による植民地支配を思い出させるような要素を排除しながら、韓国宗教文化に受容可能なように様々な工夫(現地化)をする様子が述べられている。とりわけ、先祖供養の基本である総戒名を、自宅ではなく教会道場の戒名室に安置することで韓国人信者の抵抗感が減少した。これは韓国独自の取り組みであり、布教現場における信者の定着につながった。

 

第三章では、2003年から動き始めた三支部(龍山、城北、儀旺支部)制によって支部長になった3人初代支部長への聞き取りをまとめている。信仰受容のあり方と幹部としての実力の差が、教会道場のリノベーション(大規模増改築、2006年から2007年までの約一年間)以降、支部組織の転機(龍山、城北支部長の辞任、儀旺支部長の継続)に影響をもたらした。これら出来事は、韓国佼成会において、教会長一家を除き、韓国人が佼成会を担うという新たな段階に入っていく転換点であったことを意味する。

 

第四章では、在日コリアンとは全く関係のない韓国人二代目幹部信者4人のライフヒストリーから、彼らの入信過程と自己形成のあり方を捉えた。そこから、初代幹部信者の高齢化や女性信者の就職率の上昇にともない、専業主婦を布教の主な対象とする立正佼成会の困難に直面する様子について言及している。2018年現在の教勢状況を踏まえた上で、韓国佼成会の組織変化(教会長や教会組織の要となる役割の交代)が余儀なくされた経緯について述べている。

 

第五章では、韓国佼成会の基盤づくりから成長・発展に大きく貢献した在日コリアン二世の李福順氏のライフヒストリーをもとに韓国佼成会の展開状況を明らかにしている。長女の李幸子氏、長男の李史好氏への聞き取りを行い、日記、写真などの補足資料を用いて、李福順氏のライフヒストリーを再構築し考察している。ただし、著者も示しているように、李福順氏の人生の軌跡については、第一章から第四章にわたって多く語られている(299頁)ため、内容的に第五章は繰り返しになるところが多々ある。

 

 

3.本書の意義とコメント

本書は、日本にルーツをもつ宗教の異文化布教時に生じる様々な特質を析出しようとした実証的な研究書であるが、調査で何度か李副順氏と李幸子氏に会ったことのある評者は、母娘ペアを中心とした李一家の苦難と家族愛を感じられる心温まる物語として読んだというのが、正直な感想である(著者には大変失礼となるかもしれないが)。このように評者が感じた理由は、韓国佼成会が佼成会の海外拠点の中で最も堅実かつ着実に布教が進展している教会(259頁)になる過程は、母娘が二人三脚で歩んできた並々ならぬ苦労と努力の過程でもあり、その姿を、著者が躍動感あふれる表現でリアルに描写することに成功しているからであろう。これは著者の渡辺氏が15年という永い歳月を通して調査を行い、丁寧かつ真摯に対象者に接してきた信頼関係の結果によるものといえる。

 

また、著者は聞き取り調査に基づいた記述をはじめ、教団・教会関連各種データ、日記、写真などの史料を精査しながら、布教する側のみならず、受容する側の両面からアプローチしていることで、偏りなく課題の解明に成功しており、高く評価できる点である。これまで、韓国における日系新宗教を対象とした研究は主に韓国人研究者によって進められ、かつ初代信者を対象としている場合が多い。しかし、著者は日本という地に研究拠点を置きながらも、幹部信者の交代後も継続的に調査を行い、既往研究では扱われなかった新たな証言を得ている点で非常に価値のある史料を私たちに提供してくれている。

これまでも著者は、特定地域(ブラジル)における日系新宗教教団を対象とした実証的研究の先駆者として、新宗教の異文化布教の分析概念の理論構築に加え、後続研究者に開かれた研究視点の提供に多いに貢献してきた。本書は著者自身がこれまで構築した理論的枠組みと調査領域を韓国に拡大し、長期間にわたって個別教団を徹底的に調査し、かつ日韓関係や韓国の社会変動などと絡ませて総合的に分析している。このことからみても本書はまぎれもない労作であり、それ故、説得性を保持する内容になっている。

 

以下では、評者なりの観点から、三点、コメントをする。

 

まず、一点目として「在日コリアン」とは誰か、という概念全般に関する問いである。本書は全般にわたって「在日コリアンによる韓国人への布教」を軸に、本書の重要人物である福順と幸子氏を「在日コリアン」として捉え、佼成会の韓国布教展開について考察している。その差異、「幸子は福順のアイデンティティは韓国人ではなく、日本人だと述べている。実際そうであると筆者も感じる」(293-4頁)や「心の中は日本人アイデンティティを持つ福順が韓国人になろうとする」(300頁)にみるように、在日コリアンを、韓国人と日本人という二項対立的ボリティックスで考察している。

ところが、福順氏は「韓国人同士なので(中略)韓国人が進めるということで受け入れてくれた」(45頁)、「幼い頃、日本人の友達の家に行ったら生活が豊かだったので日本人であればよかったのにと思った」(237頁)「韓国人と一体になるには、まず自分が韓国人にならなければならない」(262頁)にみるように、生涯において民族志向は必ずしも同一ではないことが見て取れる。さらにいえば、「福順は(中略)今も日本人か韓国人かといったら答えられない」(293頁)でも確認できるように、福順氏の民族的志向は混在もしくは葛藤を経験しながら、それが韓国佼成会の布教過程にのめりこんでいったものと思われる。

在日コリアンの民族的アイデンティティは均質的なものではなく、自覚的選択する生き方へ変容している(飯田2006)。世代を重ねるとともに、在日コリアンが重視するエスニック・シンボルは、国籍だけではなく、日本人でもない、韓国人でもない、「在日コリアンとしての民族的な生き方」を模索している人が増えている(朴2014:178頁)。その意味で、本書の主要インフォーマントでもある娘の幸子氏(311頁)は在日三世であり、来韓に際して永住権を放棄、小学校4年生から韓国に編入し、以降韓国で教育を受けた(239頁)。それに対し、母の福順氏は、在日二世であり、生前日本の永住権を保有していた。小学校、高校は日本の学校、中学校は日本にある韓国(民団)系学校を卒業しており、学校での使用言語は日本語で、民族教育は受けていない(224頁;290頁)。世代の違いや異なる民族教育、社会環境で育った両氏の民族志向は、必ずしも同一なものとは限らないと考える。著者が強調するように、韓国は歴史的背景から他の布教先と異なる特質を有するだけに、布教側の民族志向、さらには世代による相違点に注意を払う必要性が生まれる。

さらに現在、韓国佼成会は、在日コリアン親戚との強い絆の中で入会した初代幹部信者(第三章)から、在日コリアンとは全く無関係な二代目幹部信者(第四章)へと移行し、新しい段階に入っている(217頁)。初代信者とそれ以降入信した信者の間には、在日コリアンである福順や幸子氏に対する意識の変化が推定される。布教現場において信者たちの意識変化に対応する形で布教活動を展開していったと考えられる。このように、在日コリアンをめぐっては、それぞれ想起される実態が異なる。以上より、著者が考える「在日コリアン」について、教えていただきたい。

 

二点目として、調査対象の韓国人信者たちについての問いである。本書の韓国人信者の事例は、ほとんど支部長や総務部長といった幹部信者である。彼女たちは、「苦(問題状況)」の解決を求めて入会し、教学を学び、具体的な実践の中で自らを変える、自己変革(信仰深化)を経験している(第3・4章)。その差異、福順氏の「情(四柱推命の鑑定、豊富な経験に基づく説得力のアドバイス)」と幸子氏の「知(教学)」の影響を大きく受けた。とりわけ福順氏の「情」は、韓国布教の推進力になっていた(310頁)。

ところが、もともと韓国佼成会の場合、苦の解決を求めての入会が多く(217頁)、布教の方便として「情」を用い、多くの専業主婦信者を獲得してきたといえる。ただし、すべての信者が「知」の内面化や自己変革を経験しているわけではなく、一般信者と、彼女たちを指導する立場にもある幹部信者と一般信者の信仰受容と自己形成の諸相について、15年間の長期調査で得られた著者の御高見を承りたい。

 

最後三点目として、なぜ、日本にルーツをもつ宗教が韓国に受容されているのか、に関する問いである。著者は「佼成会の韓国布教にとって、日本から来た宗教であることはプラスに働いていない。むしろマイナスであるといってよい」(218頁)と述べている。確かにそのように思われる。いま日韓関係は戦後最悪の状況を迎えているが、日韓関係は政治・歴史領域と文化的領域において両面性を有する。特に、文化面では感覚文化にない要素を提供する日本文化を通して、自らのニーズを満たし得ようとする相補性(complementarity)の関係が現れていると考える(李2014)。宗教文化に限定すると多様な宗教財を自由に選択できる韓国において、自文化にない要素を日本の宗教が提供し、それを受け入れることて自らの宗教的ニーズ(宗教的救済)を満たし得ているのである。たとえば、本書の韓国人信者たちが、韓国伝統仏教やキリスト教から改宗していることや、儀礼・儀式における文化的違和感(第二章)にもかかわらず入会し、中核的幹部にまでなったのは、違和感を優越する部分が佼成会にあり、また韓国宗教では満たし得ない部分を、佼成会を通して満たすことができたからではないだろうか。反日感情の根強い韓国社会に数多くの日本新宗教が受容されている現状を踏まえ、その全体像の中から佼成会の布教展開を捉えなおす必要があるのではないだろうか。

 

以上、評者の立場から疑問に思った点について問いとしてコメントを述べた。上記に指摘した疑問点は、本書の問題意識から逸脱したものであるかもしれない。しかし、著者のブラジル日系新宗教の研究成果と、本書の研究成果を土台により普遍的な議論を後続研究へと広げるための問題提起として理解して頂ければ幸いである。著者のご健勝と益々のご活躍を祈念しながら、グローバル化における日本新宗教の海外布教に関心を抱かれる方々に渡辺(2001)との併読を勧めたい。

 

参考文献

  1. 飯田剛史 2006「在日コリアンと大阪文化―民族祭りの展開」『フォーラム現代社会学』5:43-56
  2. 李賢京 2014「日韓における宗教文化交流の再校―『相補性』からのアプローチ」『日本研究』22:263-296
  3. 朴一 2014『越境する在日コリアン―日韓の間で生きる人々』明石書店。
  4. 渡辺雅子 2001『ブラジル日系新宗教の展開―異文化布教の課題と実践』東信堂。

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