【書評】舩橋晴俊著『社会的制御過程の社会学』

舩橋晴俊著 『社会的制御過程の社会学』

(A5、824頁、¥9600+税)

社会学論評281  Vol.71 , No.1/2020

中澤秀雄(中央大学法学部教授)より

 

舩橋晴俊は戦後日本社会学を代表する知性であり、社会学の意義を市民社会に説得的に示し、実証と理論を高いレベルで噛み合わせ、「T字型の研究戦略」に代表される研究者のキャリアモデルを示した。初期には同世代若手をリードする存在として新幹線公害問題に取り組み、有斐閣選書『新幹線問題』(1985)を通じて公論の場を作り、この研究を通じて彫琢された「受益圏・受苦圏」論は日本社会(学)の経験を世界に発信する鍵概念となった。中堅社会学者として環境社会学会設立を主導し、熊本と新潟での水俣病研究は、永いこと現場で闘ってきた実践者を納得させる水準だった。3.11以降は震災・原子力問題の実践的研究をリードし、文字通り生命を削って完成させた日本学術会議「高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会」の原子力委員会委員長に対する回答(2012年9月11日付)や原子力市民委員会報告書『原発ゼロ社会への道―市民がつくる脱原子力政策大綱』(2014)は大きく報道され政策過程への一石となった。日本社会学会研究活動委員長等を歴任したのち舩橋先生がリードして進められた企画『被災地から未来を考える』(有斐閣、2017-2019)3巻シリーズは、東日本大震災があぶり出した諸問題と対峙する社会学会の営為を世に問うた。

 

これらアクチュアルかつ重厚な学問キャリアの集大成として本書は生前に設計された。3部構成で、第Ⅰ部「単位的な社会制御過程」に収録された名古屋新幹線問題(4章)や三島・沼津コンビナート問題(第6章)の内容が、上述した比較的若い時期の仕事に対応している。第Ⅱ部は「複合的な社会制御過程」と題され国鉄累積債務問題に代表される「政策の失敗」や(12章)、水俣病事件における行政組織の解剖(13章)、再生エネルギーの普及を阻む要因分析(11章)など2000年代までに積み上げられた環境社会学会ファウンダーとしての仕事が集約されている。第Ⅲ部「東日本大震災と社会制御過程の社会学」は3.11以降の仕事であり、原子力政策のパラダイム転換を訴え(19章)、高レベル放射性廃棄物問題に切り込み(21章)、震災への対処を通じて日本の制御システムに欠けている要素を浮き彫りにしようとする(20章)鬼気迫る仕事で、2014年夏の突然の筆者逝去により未完となった遺稿群である。

 

遺稿群については舩橋恵子氏や弟子筋の研究者からなる編集委員会が補訂した、という経緯はM.ウェーバーの『経済と社会』を想起させる。しかし上述のように筆者の手で大部分完成し、あとは推敲を重ねるだけの状態だったから後世の学者が解釈論争をする必要はない。構想メモが残りながら未完成となっているいくつかの章には「解題」と「編注」がつき、関連文献から文章を引用して再構成した等の注記がある。基本的に、編集委員会が新たな文章を加えることは避けられているが、それでも800頁近くを矛盾なく読み通せる完成度である。すなわち、あの世の筆者にとって不満はあるだろうが、本書は長大なのに高い熟度と密度を示した記念碑的著作で、戦後社会学史を語るとき必ず言及されるだろう。水俣病から3.11まで、戦後日本を象徴する社会問題群を緻密な実証水準で分析しつつ、「自存化傾向」「昇順/逆順内面化」などオリジナル理論概念を提出した。過去の日本社会学のオリジナリティは有賀喜左衛門以来、文脈の濃い調査成果に求められたが、日本の経験から出発する普遍的理論構築でも世界と切り結べることを示した。本書のエッセンスが外国語に訳されることを切望する。

 

これまで舩橋先生の業績は目立たない媒体に発表されることが多かったので、本書によって全体像を把握することができ、理論家としての舩橋先生の迫力に圧倒される思いがした。とくに8章「社会制御システム論における規範理論の基本問題」、17章「社会制御の指針」は、J.ロールズや森有正などを厳密に読み解きつつも、最後は受益と受苦の問題や、日本の社会制御の機能不全に規範論を引き寄せて跳躍する。「日本社会は『道理性と合理性に立脚して組織化する』という能力を欠如している。即自的利害要求の狭い範囲での妥協の積み重ねでしかない」(641頁)というような一文の背後に、変わろうとしない日本の組織と闘いつづけた先生の肉声を確かに聞き取れる。実証・記述の側面では、新幹線公害問題に取り組んだ時期からすでに「主体連関図」「主体の付置連関図」が特徴的だが、後年になると「主体・アリーナの付置連関図」へと発展している。随所に登場する論点や類型の対比表も含め、細部をゆるがせにしない真摯な姿勢がすべての頁に読み取れ、かつ冗長なところがどこにもない。

 

本書を机上に置いたとき、評者は若手と呼べない年代に突入しているのに何事もなしえていないと恥じ入るばかりだ。緻密な実証から始まる理論が社会学的営為の核たるべきこと、市民社会を支える倫理観を鍛えるべきことについて、晴俊先生のご遺志をいささかでも受け継ぎ、出来の悪い後進なりに言葉を産出し実践を続けていきたい。

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